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独断的聖書解説:過越「聖なる羊喰いの3日間」

さてさて、今年も主のご復活おめでとうございます、
ご存じの方も多いと思いますが(そんなこともないのかもしれませんが)聖週間の木・金・土、この3日間はまとめて「聖なる過越の3日間」と呼ばれます。


「過越」はもともとエジプトに隷属していたユダヤ民族の独立を記念する行事です。先週書いた「モーゼ、海を割る」で有名な、いわゆる「出エジプト」のエピソードの1つです。


神はモーセを通じてユダヤの民の開放をファラオに要求させ、それを呑まないと様々な災いをエジプトにもたらします。これがもう悪質なイヤガラセったらなくて、しかも「ナイル川の水が血なまぐさい」「寝ようとするとベッドにカエルが入っている」あたりから始まって「ぶよ、あぶが大量発生する」「風に乗ってきた煤を浴びると全身が痛痒く腫れて膿む」「季節はずれの雹が降る」「いなごが大量発生してあらゆる食物を食い尽くす」「三日連続で皆既日食を起こす」とやることエスカレートしていっての、とどめが「過越」。


神は、エジプトのすべての家々をめぐりその家の初子をことごとく殺して歩きます。ファラオの子も奴隷の子も、ことごとく撲殺です。腕力で解決。
ただ、ユダヤの民だけは家の門に子羊の血を塗って目印とすることでこの災いを避け、その屠った子羊と苦菜を添えた発酵させていないパンをあわただしく食し…その夜のうちにエジプトから旅立ちます。
立つ鳥あとを濁しまくり、ファラオの全軍が激怒して追っかけてくるの当たり前だと思うの。


ほぼ着の身着のまま、食料も持たずにエジプトを脱出した彼らユダヤの民。神の加護のもと紅海を渡り、ヨルダンの荒れ野を旅すること数ヶ月の後、シナイ山の麓に安息の地を得るのですが、この「過越」の出来事というか「エジプトからオレタチを救い出してくれた神様スゲえ」という気持ちを忘れないために、今後はユダヤの各家で家族や家畜などに初子が生まれた際には「焼き尽くす捧げもの」として傷のない1歳の雄の子羊1頭を神に捧げなさい、という取り決めができます。「 #アナタとワタシの絶対ルール 。守れないヒト、 シ・バ・く・よ?」です。


この捧げものとなる子羊を「贖いの子羊」といいます。
ちなみに聖書では、これ以外にも繰り返し「贖いの子羊」が神への供物として登場します。 そもそもがいわゆる「旧約」とはユダヤの祖たるアブラハムが、生贄の肉を焼き、その血を大地に注いで結んだ神との契約のことですし、「人類の罪をすべて引き受けて磔刑に処されるイエズス」の死と復活の出来事が「永遠の贖いの子羊」による神との新たな契約、すなわち「新約」なのです。 


キリスト教の「パンとぶどう酒を、十字架にかけられる主ご自身の肉と血だと思って分かち合いなさい(カトリックだと、さらにミサの中でまさにパンとぶどう酒は主の御体と御血になるという秘蹟を信じなさい)」という教えは、上記の背景を知らないと、なんとなくカニバリスム的で日本人には受け入れにくいえげつなさを感じるところかもしれません。 

ですが生贄を使う供儀は、ユダヤ教のみならず古代中国からペルシア、ヨーロッパ圏などの多くの宗教で見られますが、どこの宗教でも、これらの供儀はその後何らかの形代(象徴)によって代行されソフィスティケートされていきます。古代日本の埴輪なども殉死の形代ではないかといわれてますよね。


キリスト教における「パンとぶどう酒」もユダヤ教からの脱皮を図る際の代替手段であったのかもしれません。


最後まで読んでくれてありがとう!ハッピーイースター♪

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