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復活節の福音から。:ゆふぐれのエマオへの道で(復活節第三主日)


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カラヴァッジオ「エマオの晩餐 」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵、1601年)

この日二人の弟子、エルサレムより三里ばかり隔りたるエマオといふ村に往きつつ、凡て有りし事どもを互に語りあふ。語りかつ論じあふ程に、イエス自ら近づきて共に往き給ふ。されど彼らの目遮へられて、イエスたるを認むること能はず。


イエス彼らに言ひ給ふ「なんぢら歩みつつ互に語りあふ言は何ぞや」かれら悲しげなる状にて立ち止り、その一人なるクレオパと名づくるもの答へて言ふ「なんぢエルサレムに寓り居て、獨り此の頃かしこに起りし事どもを知らぬか」


イエス言ひ給ふ「如何なる事ぞ」答へて言ふ「ナザレのイエスの事なり、彼は神と凡ての民との前にて、業にも言にも能力ある預言者なりしに、祭司長ら及び我が司らは、死罪に定めんとて之を付し遂に十字架につけたり。我らはイスラエルを贖ふべき者は、この人なりと望みゐたり、然のみならず、此の事の有りしより今日ははや三日めなるが、なほ我等のうちの或女たち、我らを驚かせり、即ち彼ら朝夙く墓に往きたるに、屍體を見ずして歸り、かつ御使たち現れて、イエスは活き給ふと告げたりと言ふ。我らの朋輩の數人もまた墓に往きて見れば、正しく女たちの言ひし如くにしてイエスを見ざりき」
イエス言ひ給ふ「ああ愚にして預言者たちの語りたる凡てのことを信ずるに心鈍き者よ。キリストは必ず此らの苦難を受けて、其の榮光に入るべきならずや」かくてモーセ及び凡ての預言者をはじめ、己に就きて凡ての聖書に録したる所を説き示したまふ。


遂に往く所の村に近づきしに、イエスなほ進みゆく樣なれば、強ひて止めて言ふ「我らと共に留れ、時夕に及びて、日も早や暮れんとす」乃ち留らんとて入りたまふ。共に食事の席に著きたまふ時、パンを取りて祝し、擘きて與へ給へば、彼らの目開けてイエスなるを認む、而してイエス見えずなり給ふ。

かれら互に言ふ「途にて我らと語り、我らに聖書を説明し給へるとき、我らの心、内に燃えしならずや」


かくて直ちに立ちエルサレムに歸りて見れば、十一弟子および之と偕なる者あつまり居て言ふ、「主は實に甦へりて、シモンに現れ給へり」二人の者もまた途にて有りし事と、パンを擘き給ふによりてイエスを認めし事とを述ぶ。
(ルカ傳福音書二十三章十三節~三十五節)
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「イエスが復活したなどという荒唐無稽なネタを事実だと信じないといけないなら、クリスチャンにはなれない」といわれる方に時々出会うのですが(そしてまあ、確かに「それを信じているからクリスチャン」なのですが)、今日のルカ福音書の箇所はまさにそういう人たちのためにあるような気がします。


この「エマオへの道で復活したイエスに出会う」というエピソード、実は4つの福音書の中でルカ書だけにしかありません。似たような記述を探してみてもマルコ書の16章に「この後、そのうちのふたりが、いなかの方へ歩いていると、イエスはちがった姿で御自身をあらわされた。このふたりも、ほかの人々の所に行って話したが、彼らはその話を信じなかった。」という残念な記載があるのみです。

ところで。

四半世紀前に大学で聞きかじった程度の知識なのですが、聖書学の分野では、4つの福音書のうち、ヨハネ福音書を除く3つ(マタイ、マルコ、ルカ)は、相互に共通の記述が多くあるこの3つの福音書を研究するにあたって「共観表((シノプシス)」が作られたことから共観福音書と呼ばれます。

ざっくり言うと、イエスの一番弟子を自認するガリラヤの漁師ペトロを中心にした直弟子からの聞き書きをもとに素朴に宣教のイエス像をまとめた覚書集であるマルコ書、ユダヤ教改宗者への指導書としての視点から「律法の成就」として受難のイエス像を描いたマタイ書に対して、ルカ書で描かれるのは前のふたつの書(…の原資料)をもとに時系列を入れ替え、ディティールを脚色して「7つの奇跡」を軸に「神であるキリスト」の生涯をまとめ上げた復活のイエス像であると言えるのではないかと思います。


ちなみにヨハネ書は、これらの3つの福音書よりだいぶ後、パウロにつき従った弟子が、生硬というか理解不足で聞きかじりのギリシャ哲学からの視点を加えて「ギリシアローマ世界への宣教を行う」ための権威付けとして書かれたものではないかとされています。
言葉を選ばないで言うと若干厨二っぽい「僕の考えた最強の現人神イエスの物語」っていうと立ち位置わかりやすいと思う。だってオープニングっから「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」ですものね。


さて、そんな「復活のイエス像を描く」ルカ書だけにある、この「エマオの晩餐」のエピソード。今日はここでのイエスの弟子だった二人の行動を、「実際には復活したイエスが同行してはいない」と考えながら読んでみようと思います。


イエスが刑死して数日。二人はエマオへの(おそらくは一旦身を隠すための)道を歩みつつ、期待に反して亡くなった師や動揺する兄弟子たちへの失望、先ゆきの不安などを語り合っていました。そして語ってゆく中で、あらためてイエスという人物とその宣教のありかたを振り返るとともに、預言者たちの言葉と照らし合わせて、彼自身が生前話していた「苦難の末に栄光に入る」という言葉の意味を考えます。

「エマオへの道」エピソードでもっとも中心になるのは下記の二節です。

“一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。”
“彼らはおたがいに言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。”

この部分を「イエスが同行してはいない」視点で考えてみると。

一日中歩きながら現状を嘆いたり、愚痴ったり、不安がったりしつつ、イエスという人物と向き合ったふたり。おそらく夕食のときのなにげなくパンを裂き、取りあうしぐさから、最後の晩餐として名高いイエス捕縛の夜の食事の際に「私の体、私の血」として分け与えられたパンと葡萄酒を思い起こしたのではないでしょうか。自分達の体と心の中に刑死したイエスの思いや姿、教えがたしかに息づいていることに気が付いたとき、彼らの中に「イエス・キリストを語る」使命が生じたのではないかと、私は思います。

この気づきを得た二人の弟子はエマオへ逃げることを取りやめ、勇躍エルサレムに残っている弟子たちの元へ戻ります。二人の気づきは多くの弟子たちの間で共有され、彼らの使命は「全世界に行って福音を述べ伝えよ!」というさらに力技なミッションへと拡大していったのではないでしょうか。

いかがでしょう?
こう見ると「イエスが復活したという荒唐無稽なネタを事実として語る」無謀さこそがキリスト教の信仰の本質であることに、ちょっと共感いただけるのではないかと思うのですが?

さて。今回はここまで。

復活節の福音はイエスの「死からの復活」を描いたいくつかのエピソードを通じて初代教会の信仰と信徒の在り方を教えています。

復活節の終わり、聖霊降臨の主日の福音を読んでからもう一度復活の主日からの「使徒たちの宣教」にもどるとなかなか面白いので、そこらへんを踏まえてぼちぼち更新していく予定(たぶん時間かかりますけど)。少なくとも全8回ぐらいにはなるんだろうなあ。

では、神の光があなた方の足元をいつもあかるく照らして下くださいますように。

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