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05 ぼくの好きな煎餅

 コンビニに色とりどりのスナック菓子が並ぶようになるまでは、おやつの王様といえば煎餅だった。ぼくは煎餅が大好きである。その昔、町に一軒くらいは煎餅屋があって、そこで枚数を指定して手焼きの煎餅を買うことができた。
「ごま煎餅と塩煎餅を5枚ずつと、鬼あられを10個ちょうだい」
 そう言うと、店のおばちゃんが店頭に置いてあるガラス瓶から煎餅を取り出して、紙袋に入れてくれる。上端の両端をつまんでクルリと回すと、袋が綴じられる。そのままだと湿気ってしまうから、家に帰ったらすかさず煎餅入れの缶に移す。それでもやがては湿気ってしまうんだけど。
 ぼくが小学校を卒業する頃には、町にコンビニができ始めた。近所のスズキ屋さん(酒屋兼お菓子屋)もセブンイレブンになった。それと並行して、お菓子は有名メーカーによる工場で生産されたパッケージ物が多くなっていった。
 スナック菓子もすでにあったとは思うが、やはり好んで買うのは煎餅だった。いちばんよく食べたのが亀田の「サラダうす焼き」。これはいまでもたまに買う。うっかり仲間内で「サッポロ一番は何味がいちばん美味いか?」なんて質問をすると戦争が起きるが、ぼくの煎餅戦争は塩味の勝利である。醤油味も嫌いではないが、塩味に投入した軍資金は圧倒的に多い。

 異常に「ピーセン」にハマった時期がある。
 ピーセンとは、かつて銀座江戸一が製造・販売していた塩味のおかきだ。砕いたピーナツの粒が入っていて、香ばしさを増している。東京銘菓の定番として(主にぼくに)親しまれていたが、1997年に銀座江戸一が暖簾を下すとともに消滅した。しかし、それを惜しんだ榮太樓總本舗が味を受け継ぎ、いまは「東京ピーセン」と名を変えて発売されている。
 これがとにかく好きだった。ひとつのサイズが小さいので、次から次へとパクパクいって止まらない。一度に2つ3つ頬張るのもいい。「昭仁、一人で全部食うな!」とよく母に怒られた。
 小学生のとき、仲良しだったNくんがトラックに跳ねられた。幸い怪我は軽い骨折だけで大事には至らなかったのだが、お見舞いに行ったぼくは驚いた。ベッドの横に、ピーセンが業務用の缶ごと置いてあったのだ。話を聞いてみると、Nくんを跳ねたのはピーセンの配送トラック(銀座江戸一のものかどうかはわからない)で、もちろん正式な賠償もされたとは思うが、それとは別にお詫びのピーセンもどっさり届いたというのである。それ以来、ぼくが用もないのにNくんの見舞いに通い続けたのは言うまでもない。

 そもそもが辛党なので、甘い煎餅を選択する機会は滅多にない。ごくたまに買うことがあるとすれば、天乃屋の「歌舞伎揚」だろうか。ひび割れた揚げ煎餅で、表面には醤油と味醂によるものと思われる甘じょっぱいタレがまぶしてある。本家、天乃屋の製品があればいいが、それでなくてもジェネリック歌舞伎揚でも満足してしまう。
 関西に「おにぎりせんべい」というものがある。三重県伊勢市のマスヤが作っているもので、関西を中心に流通する定番のお菓子となっているようだ。関東では一部のスーパーなどが扱っているのみなので、あまり浸透しているとは言い難い。ぼくもその存在は知っていながら、実際に食べたことはないから、具体的にどんな味がするのかはわからない。見た目は小さめの三角形をした煎餅で、表面には醤油と思しきタレが塗ってあり、小さく切った海苔がまぶしてある。米と海苔と三角形。なるほどたしかにおにぎりだ。
 数年前、グラフィックデザイナーの永井ミキジくん(兵庫県出身)から「知人のデザイナーがおにぎりせんべいのパッケージデザインをやってて、めっちゃ嫉妬した!」という話を聞いて笑った。それだけ西の人にとっておにぎりせんべいが定着しているという証だ。

 長いこと自分は低血圧の人間だと自覚していて、実際に測ってみても上が100を超えることは滅多になかった。ところが一年ほど前、やけに後頭部が締め付けられるような感覚があって、脳出血でもしていたらヤバいので頭部MRIを受けてみた。結果的になんともなかったのだが、一時的に血圧が200を超えていた。これはいかんと反省し、いまは減塩を意識した食生活を心がけている。血圧上昇の主原因はラーメンの食い過ぎだと思うが、もう一人の犯人は明らかに塩煎餅である。

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