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41 玉子の温度はゼロか100

 茹で玉子やラーメンの麺の茹で具合など、食品関係のかたさについて書くとき、いつも「硬い」と「固い」と「堅い」で、どれが正解なのか迷ってしまう。皆さんは迷いませんか? 「硬い」では鉱物っぽいし、「堅い」は性格が頑なであるとか、そういうときに使われる感じがする。やはり食品は「固い」なのだろうか? 正解がわからないので、ここから先は全部「かたい」と平仮名で書くことにします。

 で、問題は茹で玉子である。

 いまどきのラーメン屋は、なぜ茹で玉子が半熟なんだろうか? 食べログなんかで人気店のラーメン写真を見ると、どこもかしこも上に乗ってる味玉が半熟なのだ。右へならえで味玉は半熟ということになっている。これは由々しき問題だ。
 ぼくは声を大にして言いたい、茹で玉子は「かた茹で」こそが至高だと。半熟の茹で玉子なんて文字通りの未熟者。茹で玉子の出来損ないでしかないのだ! まあ、それはお前の好き嫌いの話じゃないかと言われれば、返す言葉もございませんがー。

 でも、本当に皆さん半熟玉子のことをおいしいと思って食べているのだろうか? 何かに騙されてない? 弱みとか握られてる?
 玉子の黄身って、しっかり茹でると生玉子や半熟のときにはなかった独特の香ばしさが生まれて、実においしいんだよね。その良さを捨ててでも得られる半熟玉子の魅力が、ぼくにはどうしても見つけられない。
 おでんの玉子って、数あるおでん種の中でも人気が上位にくると思うんだけど、あれってほぼ100パーセントかた茹ででしょう。おでんは鍋で煮込む料理だから当然そうなる。そして当たり前のようにうまい。おでん屋で半熟玉子を出すところなんて聞いたことがない。なのに、なぜラーメンの煮玉子は半熟が許されるのか。おれは許さん。

 そもそも、ぼくは煮玉子に限らず玉子が半熟状態なのが苦手なのです。ドロリとして気持ち悪い。だから、温泉玉子も大っ嫌い。以前、某有名チェーンの立ち食いそば屋で月見そばを頼んだら、問答無用で温泉玉子だったことがあって、げんなりした。おやじに苦情を言ったら「うちはこれでやってるから」って悪びれもせずに言われたので、そのまま全部残して店を出た。
「じゃあ、最初から月見そばなんか頼むなよ」と思われるかもしれませんが、温泉玉子と生玉子は全然違う。ぼくは生玉子はむしろ大好きなので、立ち食いそばではわりとよく月見そばを食うし、家では玉子かけごはんも食う。

 ラーメンの温度も、ぬるいのなんか食べたくない。できれば70度以上が希望。それが無理なら、いっそ冷やし中華でも食った方がマシだ。熱いか冷たいかの両極端。同じように、玉子もかた茹でか生のどっちかがいい。
 永福町「大勝軒」のラーメンは正確に測ったことがないので70度を超えているかどうかはわからないが、かなり熱い。おまけに表面をラードが覆っているせいで、いつまでも熱い。その熱さをダイレクトに感じながら食べ進むのはもちろん最高なのだが、たまに、生玉子付きを頼むこともある。茶碗に溶いた玉子に麺をつけて、すき焼きのようにして食べるわけである。これは店も推奨している食べ方で、実においしい。
「玉子につけたりなんかしたら冷めるじゃないか」というご意見には、こう反論しよう。「玉子をつけて食べた直後に、また玉子をつけずにドンブリからダイレクトに食べると、よりいっそう本来の熱さが感じられて、なおいいのだ」と。玉子食べ、直食べ、玉子食べ、直食べと繰り返し、うまい! 熱い! うまい! 熱い! をループする。こんな幸せなことがあるだろうか……。

 ちなみに、月見そばに関してはそこまで熱さを求めていないので、生玉子を投入することによるつゆの温度低下は不問にしている。
 ただし、食べはじめに黄身をほぐしてしまうと、それがつゆに溶け込んで鰹出汁のシャープな味わいを消してしまう。それはいただけない。したがって、月見そばを食べるときは割り箸が黄身に触れるのを慎重に回避して、そばの歯応えとエッジの効いたつゆだけをさっさと食べ終えてしまうのだ。
 ぼくが月見そばに求めているのは、単純に鶏卵の滋養だけなので、そばを食べ終え、つゆを味わったら、残った玉子は丸ごとつるんと飲み込んで、最初から無かったことにするのである。

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