2024になって。続
こんばんは。
昨日、「2024になって。」というのを書いたのだけれど、ほんとうに書きたかったことを書かずに、ちゃんとおやすみと書いた上で寝落ちをしてしまったので、ちょっと続きを書こうと思う。
どうして今年になったことについて三賀日を過ぎてから書いたかという話である。
数日前、とあるポスターを見た。
それは、私の興味のあることの募集だった。
私、やってみようかなと心が揺れた。
今まで、何度もおんなじことをしようか悩んだ。
でも今じゃない気がした。だれかのためにやることなのだけれど、そのときの私がすれば、自分のためにもだれかのためにもならないだろうから。
で、その数日前、ふたたびその募集を見つけて、今度こそ、と思った。今の私なら、自分のためにも他人のためにもそのことができるような気がした。だからとりあえず、説明を聴いて、やりたくなったらやろうと思った。
募集要項を、読んだ。
年齢が1歳、足りなかった。
悔しかった。こんなに早く大人になりたいと思ったことは初めてだった。なんでなのか分からないけれど、ものすごく、ほんとうにものすごく悔しかった。やりたいことがあるのに。私にはそもそも資格がなかった。たった1歳若いだけで、やりたいことができないのだった。それがどうしても、悔しかった。
でもなんだろう。たぶん、それも今じゃないよ、あなたはまだそれはしちゃいけないんだっていう、そういうお告げであるような気もした。
同時に、悔しさを抱くための、そのための何かであったような感覚も、いまはある。
だから決して、それができないことは悪いことじゃない。現にいま、こうして書くことで、私はそのことについて考えていて、やりたいことに対して、今の自分に対して、だれかに対して。いろんなことを考えることができている。
そんなふうなことを、いろいろ考えている。で、そんなふうなことを、昨日書きたかった。
ほんとうは、このことも、ちゃんと手書きで書きたかったし、もっと詳細にどこかに記しておきたいのだけれど、いかんせん腕が痛くてペンが持てない。去年の自分が自分を酷使しすぎたせいだ。
ということで、2024年は、自分や他人を、もっと大切にする年にしたいし、する。
ほんとうにやりたいことがなんなのか。それを考えて行動に移すいちねんに、したい。
もうすぐ2時だ。まだまだ書きたいことはあるけれど、これ以上書くとたぶん、しゃべり過ぎてしまうからまた今度。
おやすみなさい。
いい夢を。
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