3-小学校3年生

実は4歳からは千葉県松戸市常盤平というところに住んでいた。そこで幼稚園に入り、毎日楽しく過ごしていた。遊ぶのが好きで、休み時間は毎日、早い者勝ちのキックスケーターを取り合っていた。帰宅後も近所の公園で、ブランコ靴飛ばしやサッカー、鬼ごっこで遊び、近所に沢山の友達ができた。

そのまま幼稚園時代の多くの友達と共に、学区の小学校に入学した。勉強は嫌いで、放課後友達と遊ぶことばかり考えていた。住んでいた団地の裏の草むらにはこんまりした木が生えていて僕たちの秘密基地だった。毎週土日は友達みんなとその中に集まってゲームしたりくだらない話をしたりした。

小学校2年生の頃は、親に連れられて野球チームに入団した。はじめは乗り気では無かったが、徐々に楽しみを覚えていった。しかし、1年ちょっとで辞めてしまった。毎週土日の朝9〜14に渡る厳しい練習が辛くなり、休日友達と遊べなかったことに耐えられなかった。

小学校3年生になると、新人の親しみやすい女性の先生が担任になった。小学校2年生のときの先生が厳しい先生だったから、甘やかしてくれるその先生のことがみんな大好きだった。ある日授業見学があり、僕の母親ももちろん見に来た。子供たちは授業中そわそわすることなくいつも通りだった。

帰宅後、母親が語気を強めて言った。「授業中子供たちが喋ってても先生何も注意しないのね。子供が勝手に歩いてたのよ。それでも知らんぷり。保護者会で怒ったのよ、甘やかしすぎだって」僕はよくある愚痴だなぁと思いながらいつも通りランドセルを玄関に放り投げて外へと出かけた。

夏が近づきながら、野球から解放されて友達と遊べる日々を謳歌していた。家の周りには公園が沢山あり、自然が豊かでカマキリがよく見つかった。ポケモンやマリオカートに熱中して友達と競った。ムシキングが流行り、珍しいカードを自慢したりした。今振り返れば小3は一番楽しい時期だった。

7月のある日、突然母親に素っ気なく言われた。「夏休みから東京の学校に行くよ」僕ははじめ、冗談か気の迷いで軽く言っただけなのかと思っていた。理由を尋ねると、何故か答えてくれなかった。普通はあり得ない話のように思えて、特に気に留めたりはしなかった。

しかし、次の日学校から家に帰ると、ダンボールの箱がいくつか積み重なってた。僕は「本気なんだ」とそこで初めて知り、改めて慌てながら母親に尋ねた。「パパの仕事?なんで引越しするの?」母親は「あなたの将来のためよ」と言って口を利いてくれなかった。

その日の夜、父親は「わざわざ引越ししなくても良くないか?」と言った。しかし母親の意志は固かった。僕は現実を信じられなくて頭の中が真っ白になった。幼稚園時代から6年間過ごしてきた土地、友達のことを考えると、受け入れられなかった。目頭が潤み始めるのを止められなかった。

そのことを信じたくなくて学校にはギリギリまで報告せずに、小さなプライドで何事もないかのように過ごしていた。誰にも相談できずに、一人で胸の中にしまった。しかし家に帰ると、僕は泣きながら必死に抵抗した。なにか大切なものたちをもうすぐ失ってしまうと思うと、気が気でなかった。

こんなに楽しい日々なのに、たくさんの友達がいるのに、大好きな土地なのに、、、なぜ???僕だけがたった一人で行かなければいけないの???心の中の叫びは言葉にならない言葉になった。僅かな望みを、今なら止められると大声で号泣しながら母親に訴え続けた。

所詮子供なんて大人の権力には敵わないから、何を言っても家のモノを壊しても無駄だった。僕は母親を恨んだ。理由も無しに、単に友達から引き離そうとする憎き存在だと思った。学校に行くと友達から「目が腫れてるよ」と心配された。僕は「大丈夫だ」と言った。

それからというもの、無情にも家中ダンボール箱が山積みになる一方だった。引越し先が東京都足立区になることが決まった。名前だけはうっすらと聞いたことがあった。夏休み直前、母親が初めて転校する旨を電話で先生に伝えた。先生は僕に対して電話越しに「ショックだよぉ〜」と言った。

最終日、クラスのみんなにはサプライズ発表のような形で僕が転校することが伝えられた。みんな驚いていた。僕は小さなプライドで泣かないと決めていた。本当に泣かなかった。クラスメイト全員に鉛筆をプレゼントした。先生は即興のお別れ会を開いてくれたけど、あまり覚えていない。

足立区に移動するとき、トラックに乗せてもらった。最後に名残惜しい街並みを目に焼き付けようと景色をずっと眺めていた。父親は「最後だなぁ。寂しいよなぁ」と人ごとのように言った。僕は一言も喋らず、ただ窓の外を眺め続けた。みんなとはもう二度と会えないような気がした。

その後は新しい土地と家でそわそわしながら生活していた。夏休み中にもう一度みんなに会いたいと思ったけど、また悲しみが蘇ってくるから、心の中で決別した。でないと乗り越えられない気がした。現実逃避のゲームに溺れながらも段々と新しい小学校での生活が近づいていった。

「新しい友達はどういう人たちなのかな?」というワクワク感もあったが、「いじめられるないかな?」という不安感の方が大きかった。初日はいきなり体育館の全校生徒の前で挨拶させられた。クラスは自分で選ぶことができた。前と同じ2組にした。そして誰一人知ってる人がいない場所に放り出された。

それでも、他の生徒たちは話しかけてくれて、なんでも教えてくれた。遊びにも誘ってくれた。得意だったドッジボールでみんなに「すごいね」と褒められた。悲しみに打ちひしがれて、かつ不安と緊張を隠せなかった僕は、みんなの優しさのお陰で乗り越えることができた。みんなには感謝しかない。

昔の友人たちとは、あれから一度も会っていない。もう僕のことは忘れてるのかなぁと、でも記憶の片隅には残っていて欲しいなと願うばかりだ。いつか幼馴染と昔話でもできたら良いな。もし今さら出会えたとしても、ぎこちない会話をするだけだと思うけど。

もしあのままずっと千葉県に住み続けていたとしたら、全く違う人生になっていたと思う。そう考えると不思議な気分になる。何がきっかけで人生が変わるのか分からない。一寸先は闇とかいうけれど、僕の人生を最も変えた出来事が、またしても突然、小4の身に振りかかるのである。

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