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90 昔自分が書いたブログに自分で感動して再掲する

アメリカにいたときにブログを書いていて、そのときに何人もの人に「あの記事は良かった」と言ってもらったものがありました。

もう随分前の文章になりますが、再掲してみます。10年以上前の娘の姿です。

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こういうことを書くのもどうかとちょっと思いますが、娘の自慢をちょっとだけしたいと思います。
私は去年の6月から、娘は8月からここUSに来て、二人で生活を始めました。だんなさんは日本での仕事があるのでお留守番ですが、3ヶ月に1度くらいの割合で渡米してきているので、なんとかなっているという感じでした。

娘は中2の1学期まで日本で過ごし、アメリカの現地校に通うことになりました。middle schoolというこちらの中学校の8th grade での入学です。コネチカット州では6年生から8年生がmiddle schoolで、それ以降の4年間が高校になります。なので8年生は最高学年。9月に入って6月に卒業です。

もともと英語もほとんどできないし、日本の学校が大好きだったせいもあってまったくアメリカに来るモチベーションがなかった娘でしたが、大好きなヒップホップダンスのレッスンを受けてもいいよ、という殺し文句にころりとなってついてきました。なので学校は本当に大変でした。初日は2時間、授業を受けられずにカウンセラー室の前で待ち続け(先生に忘れられていたそうです)、楽器は何をやる?といわれて小学校のころにやっていたトランペットと答えたらすぐにbandに入れられたものの、ほとんど(当然)吹けないので「あなたは吹かなくていいわ」と1時間楽器を持ったまま座っていたこと、毎日聞いているとこちらが泣けてきそうだったのでふんふんといいながら涙をこらえるのが精一杯でした。娘のほうは「どうせこんなもんだろう」と思っていたところもあったのか、あまりショックは受けていなかったようですが。

そんな娘が最初に泣いたのが、ダンスレッスンのときでした。何が楽しみといってヒップホップの本場でレッスンを受けられるというのだけが楽しみだったわけです。1年間、学校のクラブで相当気合を入れて練習していたこともあり、ちょっと自信もあったのでしょう、第1回目の練習に意気揚々とでかけていきました。

行き帰りは私が送り迎えをするのですが、迎えに行って車で待っていると戻ってきた娘が何も口を利きません。「どうだった?」ときいたら「無理。全然無理。ダメだ」といったままワッと泣き出してしまったのです。いわく、すでに去年からの持ち上がりのメンバーがほとんどなのでみんなすでに仲良しで、アジア人は一人だけで、誰も話しかけてくれないし話しかける雰囲気もない。ダンスのレベルも相当高くて、まったくついていけない。ダンスだったらなんとかなる、友達もできると思ったのに、絶対に無理。もういやだ。ということだったようでした。最後の砦だったんですね。

それから週2回の練習は大きなため息をつきながらでかけていっていました。「このあたり(胸)に大きな石があるような気分」といいながら、それでも休まずに行くので、とりあえず送り迎えだけはしていました。

半年もたったころでしょうか。初めて迎えに行った車の中に娘がものすごい勢いで飛び込んできました。「ママ!今日ね、話しかけてもらった!ハイタッチもした!この子、できるよ!っていわれた!」
ダンスは上手な人が最前列、自信のある人が最前列を陣取って、自信やテクのない人がどんどん後ろにいるというのが一般的なようです。娘は当然いつも最後の列で踊っていたそうなのですが、早くみんなに追いつきたくて家で毎日ダンスの振り付けの復習をしてたんですね。なので、だんだんおどれるようになってきていた。それに気づいたメンバーが「この子、一番前の列に出して。踊れてる。うまいんだ」といって、押し出してくれたんだそうです。で、みんなが彼女の踊りをみて「ほんとだ!」と認めてくれて、ハイタッチ。

娘、2回目の涙は嬉し涙でした。

半年を過ぎたころからは学校でも少しずつ友だちができ始め、また授業でもできることが増えてきたようで俄然楽しめるようになってきたようでした。

最終的に4学期中4回Honor Roll(成績優秀者らしいです)をもらい、6月の末の卒業式では学年全体から数学のAwardをもらっていました。
ESL(第2外国語が英語のメンバーのみのクラス)でのawardならあるかなーと思っていた私には本当にびっくりのできごとで、思わず涙。隣のおじさんに「よかったね」と声をかけられまた涙。

あれだけできなかったトランペットは、最後のバンドのコンサートではソロを吹き、少人数の選抜メンバーのバンドでも吹いていました。

ダンスは、最後のリサイタルで本当に上手に踊っていて(いや、ほんとにうまかった)、いろいろな人からほめられていました。
このダンスも私は涙なしでは見られませんでした(基本的に泣き虫です)。1年間のことを思い浮かべるとほんとにもう・・という感じでした。

娘は8月に帰国して、9月からまた元いた学校に戻りました。仲良しのお友だちに囲まれて、毎日が本当に楽しそうです。それだけじゃなくて、前よりもずっとずっとがんばるようになってました。テストとか。それって、アメリカでの1年間があったからなんじゃないか、って思います。

1年間でこんなにがんばれることを教えてくれて、私は本当にうれしかったです。彼女が一緒にいてくれたので、このアサインメントを乗り切れてきたなあ、と思うこともよくあります。

1年は短い、でもいろいろなことができるということを教えてくれて、本当にすごい。私は娘を心から自慢したいと思っています。

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就職した娘は、配属されて3ヶ月でアメリカ出張に出かけていきました。あの1年は、彼女にとって大きかったんだなと改めて思います。(写真はその当時のグリニッジの海岸での一コマ)

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