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カタハネ ―An' call Belle―(ゲーム)

百合ゲーの名作として名高いこの物語の最後の景色を飾るのは
ある男性の背中だった。

ゲームが終わった後の現実に戻って来られないこの感じ。
自分の中身がカタハネの世界に絡め取られていて、動けない。
「果てしない物語」とか、「ハリーポッター」を初めて完読した時を思い出す。
この種類の感動を味わえる物語に、この歳になって出会えるなんて思ってもみなかった。

貴石によって人間のように動く人形と暮らす童話のような世界、
仲間を探しながら演劇の脚本が作られていく電車での旅、
それをきっかけに語られなかった悲しい歴史が紐解かれていく奇跡、
そしてそんな中で花開く、それぞれの恋心。

人間(人形)が戦い生きた証を追いかけながら、たくさんの魅力的なピースで描かれていく壮大な物語なのだが、なぜそんな作品が「百合ゲー」としての知名度が高いのか。

それは間違いなく、メインビジュアルに描かれた2人の少女の恋物語があまりにも美しいからだ。

シロハネ編においても、クロハネ編においても、人のためばかりに生きる孤独な少女が、心を許しずっと一緒にいたいと選んだのは美しい一枚羽の人形だった。

アンジェリナとベルが通じ合う過程はぜひ物語に触れて感じて頂きたいのだが、この2人を想うとき、みんなきっと最後に行き着くところは一緒だと想う。

人形であるベルはメンテナンスが続けられる限り動き続け、姿は変わらず、気持ちもきっと変わらないでいるだろう。
しかし、人間のアンジェリナは違う。
時間とともに歳をとり、今の自分と10年後の自分は別人かと思うくらい変わることもある。若ければなおさらだ。それは成長であり、生きていくということは、変化をせずにはいられない。

クロハネの2人は(やむを得ない理由はあったとしても)止めることで2人を永遠にした。

百合は変化に耐えられるだろうか。
百合は時間を超えられるだろうか。

アンジェリナは「私が他の人と同じように横を通り過ぎていくと思うな」とベルになんども言い聞かせる。ベルは大好きなアンジェリナのためにいつか必ずおとずれる別れごと抱きしめるように彼女を受け入れた。

美しい。本当に、その勇気に感服する。
しかし、無防備にそれを信じきるには私はちょっと年を取ってしまったようだ。BBAは臆病なのだ。

あの2人の未来は、私のやわなハートをチクリと刺す。

(ただ、アンコールベル版のOP曲は「life goes on.」
このメッセージに励まされて私は物語を希望を持って終えることができるような気がしました)


*  *  *

そして、アンジェリナについては「百合の法則」のようなモノを1つ発見したので、ちょっと聞いてもらいたい。

百合は女の子2人いれば百合になるってもんじゃないのだということを発見した!……いや、当たり前なんだけど(汗)

例えば、アンジェリナとベルはとっても魅力的な百合だが、アンジェリナとマリオン(演劇学校の先輩)も本当に綺麗な百合だし、アンジェリナとワカバでも私はなかなか好きな百合である。

が、しかし、これがベルとワカバだと百合は成立しない気がする。

これは、百合の「場」を発生させているのがアンジェリナだからであると考える。

「百合」というスキル?才能?香り?
とにかく……磁場のようなモノを持っている女の子がいて初めて「百合」が発生するのだということを発見したのだ。

と、いうことは、この作品が百合として名作だと言われている功績はアンジェリナにある。
彼女の孤独と才能が、ベルとの数々の夢のような美しい名場面を産んだ。

そんな彼女がベルに支えられ、きっとマリオンに負けない素晴らしい女優になると信じている。

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