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『コードギアス 復活のルルーシュ』


2006から08年にかけて計2シーズンがテレビ放送され、17~18年にはテレビシリーズを再構成した劇場版3部作が公開された人気アニメ「コードギアス 反逆のルルーシュ」の完全新作劇場版。「ギアス」と呼ばれる特殊な力を手にした主人公のルルーシュが、世界に対する反逆の狼煙を上げる様を描いたテレビシリーズおよび劇場版3部作のその後の物語を、谷口悟朗監督や脚本の大河内一楼らオリジナルスタッフ&キャストが再結集して描いた。再編成された超合集国を中心に世界がまとまり、平和な日々が訪れていた光和2年。難民キャンプの慰問に訪れていたナナリーと、仮面の男「ゼロ」として彼女に同行していたスザクが、何者かに連れ去れらる事件が発生。事件を解明するため、シュナイゼルの密命を受けて「戦士の国」と呼ばれるジルクスタン王国に潜入していたカレン、ロイド、咲世子が、謎のギアス使いに襲われる。そして、その場には何かを求めて世界をめぐっていたC.C.の姿があった。(映画.com

新宿バルト9で朝8時半からの回の『コードギアス 復活のルルーシュ』を鑑賞。ほぼ満席だったと思う。公開して近くのTOHOシネマズ渋谷で観ようと思っていたが、時間も合わなかったがたいてい満席に近かったため諦めていた。

オリジナル版であるアニメシリーズは放映当時見ていたが、その後の展開もどうなったのかはまったく知らなかった。あの頃のイメージだとダークヒーローとしてのゼロでありルルーシュだった。9.11から始まったテロリズムの時代、リーマン・ショックによる世界的な恐慌も含め、前世紀にあった価値観や信じたいものがどんどんほころび始め、空洞化していったのがゼロ年代という時代だったように思える。そういう時代の雰囲気も含めてアニメシリーズでのゼロの活躍やある種、目的のためには非道な手段を取ることも理解ができたような気がしていた。

実際のところ、現実世界ではグローバリズムの波や不況や新しいテクノロジーによる価値観の変化についていけないものや、置いていかれるもの、それらを駆使して最先端に行こうとするものと分かれていった。インターネットの普及によって、世界中と繋がり国家を越えた個人同士の繋がりが増えた。かつてネットによる人類の可能性を夢見たのは最初にヒッピーカルチャーを背景にもった西海岸の新興のITベンチャー企業を立ち上げた人だったろう。

カルフォルニアイデオロギーという思想がバックボーンにそこにはあったのだが、iPhoneをはじめとしてそれまでの文化を一新してしまうデバイスとどこでも繋がるネットによって、繋がるどころか世界中をどんどん分断してしまうことになった。そして、価値観が大きく揺らぐときには差別主義者が台頭してくる。

新しい価値観に相容れないものたちは、自分たちを守るために国家だとか人種に「私」という根拠を求めるようになって、排外主義になってしまう。それが残念ながら今の世界における国のトップたちが差別主義者であり、彼らを支持してしまう人たちが跋扈する原因だろう。ルルーシュのようにあえて悪役を演じることもできず、世間知らずな自分勝手なわがままじゃいけないのかという幼児性を感じずにはいられない。それはおそらく「知」と「恥」というふたつの「ちりょく」が彼らにはないからだろう。


BuzzFeedで記事になっていた嘉島唯さんが谷口悟朗監督に話を聞いた『「反逆をアイデンティティーにしてはいけない」。『コードギアス』監督が語る人生と成熟』をたまたま読んだ。谷口監督のインタビューを読むことで観ても観なくてもどちらでもいいと思っていたこの『コードギアス 復活のルルーシュ』をどうしても観たいと思った。監督のインタビューの中で印象的なのは、

溜められないからです。SNSでポンポンつぶやいちゃうわけじゃないですか。「あれが気に食わない」とか「私のここを見て」とか。つぶやくのをやめて、溜めて、溜めて、溜めて……それを作品にすればいいんですよ。
言うに言えないことってあるじゃないですか、人間って。世の中に対する恨みつらみとか、妬み嫉みとか、もしくはその人だけの正論とか。それをネット上で小出しにしちゃって勿体ない。そういうのは、もっと溜め込まなきゃダメだと思うんですよ。気軽にできる時代だからこそ、アウトプットは気をつけなきゃいけない。


今って「努力→上昇→幸せ」と思えなくなっている時代な気がしますから。
私の時代の時には、勉強したら、いい大学、いい会社に入れて、一生安泰。いずれ庭付き一戸建てに住んで……なんとなくルートがありました。一方で、「一般的な幸せへの道」があるからこそ、そのルートから外れる人生も存在できた。
ところがバブルが崩壊した後は、大企業に入社しても一生安泰ではない時代になった。家を持っても安心できない。
さらに情報が溢れてしまって「全部わかってしまう」時代でもある。一般ルートではなく、狭き門の成功を目指しても「こっちのルートも上手くいった後に困難が多い」という情報にすぐアクセスできてしまう。
そうすると努力する理由が見つからない。社会が答えを提示してくれないんです。何をもって「良し」とするのか、その評価基準が不安定だから、人生の進路が決まらなくなっているのかな、というのが私の見立てです。

社会が答えを提示してくれないと不安になって耐えきれないことから愛国者という名の歴史修正主義者や差別主義者になったり、オンラインサロンなどで疑似的な父の役割を誰かに求めたりもする。

若い人だけじゃなくても、老いた人にもネットでどんどんおかしくなっていく人を見るのはそういうことが大きな要因だと思う。谷口監督の発言は今の時代を生きる僕たちにとって響くものになっていた。そういう監督が「反逆」していたルルーシュをいかに現在の時代にあった「復活」をさせるのかに興味が沸いた。

そんなわけで朝一で観にいった。大きな物語が終わったその後を描いた作品でありながら物語の展開はタイトル通りにルルーシュの復活をメインにしていた。


最初にルルーシュを元に戻すという話とナナリーとスザクが連れ去られる話から展開する。その後、C.C.とルルーシュと潜入捜査をしていたカレンたちが合流し、ルルーシュを元に戻すために門がある場所に出向く。そして、復活するルルーシュとスザクの再会で一幕が終わる。ここで物語にとって大事な喪失していたもの(元のルルーシュ)を取り戻す過程が完了する。

二幕は残された喪失とも言える「ナナリー奪回作戦」が開始されていく。ここでは最後にルルーシュが敵のボスであるシャムナにチェックメイトをして解決したかと思いきや、自体は大きく展開する。ここでどんでん返しが起こりルルーシュの完璧な計画が崩される。それはシュムナが持っているギアスの能力の発動による。

ここから三幕のような残りの部分ではルルーシュとシャムナの知恵比べでありギアス対決がクライマックスに向けて白熱する。最終的にはルルーシュがシャムナのギアスを見破り、勝利してナナリーを救出する。

「反逆」が終わり、「復活」したルルーシュは最後にC.C.と共に新しい旅に出ていく。112分、ほぼ2時間のこの作品は構成がかなりきちんとされていてのがわかる。つまり、オリジナルシリーズを観ていなくても内容的にはわかるエンタメになっている。もちろんシリーズを見ている人が観にくる人の大多数だろうが、完全にその後の話をエンタメで三幕構成で進めているので観ていてストレスはない。単純にエンタメとして限りなく王道のパターンで展開されている。

最後にはルルーシュとC.C.の二人で物語が終わっていく。復活した彼がこの後どう生きていくのかはわからない。だが、彼しか進めない道があり、それを選んで手にするために動くのもまた彼自身の問題になる。C.C.の願いを叶えることがしばらくの人生の目標になるのだろうけど。


前述のインタビューで「何を目的に生きていけばいいと思われますか?」という問いに谷口監督は、

それは本当に本人が決めることだと思っています。1つのキャラクターに命題が与えられて、そこに1つの答えが出るところまでが物語です。例えば受験までをテーマにしたら受験が終わるまで。就活だったら就活が終わるまでがその人の目的になる。そこから先、主人公がどのように動いていくのかは彼自身の人生であって、それまでの物語とは別のものになる。

と答えている。



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