見出し画像

『ソワレ』試写

久しぶりに映画の試写へ。京橋テアトル試写室で外山文治監督・村上虹郎&芋生悠主演『ソワレ』を。木曜日は仕事もないし散歩がてら歩いていった。三茶から渋谷を経て六本木へ、そこから虎ノ門を越えて新橋を通過して銀座へ。13キロぐらいで2時間20分ぐらいの距離だった。曇りで涼しかったので余裕だった。

試写室でメルマ旬報チームの松崎まことさんとばったり。主演のひとり芋生さんはまつざきさん監督作『ヒロイン』の主演だったと言われた。僕はその作品を観れていなかったけど、どおりで何度か目にしたことのある名前だったんだなと。松崎さんが宣伝を手伝ったり、作品に関わっている映画から新しい世代の役者さんや監督が世に出て行っているので、どうかみんな売れたら松崎さんにちょっと恩返ししてあげてほしい。松崎さんいい人だから自分からはそういうこと言えないからさ。

外山文治監督は兎丸愛美さんが出演していた『海辺の途中』が初めて観た作品だったけど、哀愁というか物悲しさと誰かを求めるその距離感がとてもよかった。あと画がすごく映画的な感じもしていた。語りすぎずに画で伝えようときちんとしているのも好感を持っていた。
『ソワレ』はプロデューサーが豊原功輔さん、アソシエイトプロデューサーを小泉今日子さんということでも注目されている。小泉さんが代表取締役である「株式会社明後日」がプロデュースした坂元裕二脚本『またここか』に出演していた岡部たかしさんも今作に出ていたり、『海辺の途中』に出演していた大根田良樹さんなど、これまで僕がたまたま観ている作品に出演している役者さんが脇を固めていて、そういう部分がすごくいいなと思った。

役者を目指し上京した若者・岩松翔太(村上虹郎)が、生まれ育った海辺の街の高齢者施設で演劇を教えることになり、そこで働く山下タカラ(芋生悠)とある事件をきっかけに逃避行を始めるというストーリー。舞台は和歌山になっている。
この「かくれんぼ」であり「かけおち」を僕は観ていて、一度廃校に二人が入っていくのが逃亡者のようで、野島伸司脚本『未成年』を思い出していた。外山さんも年齢があまり変わらないけど、そのイメージはあったのだろうか。

タカラが働いている高齢者施設やその廃校、翔太が東京でしていた仕事などは現在の社会問題が浮かび上がってくる。翔太がやっていたことは社会的弱者を傷つけることであり、タカラは弱者の側にずっといる人だ。彼女の諦めはこの社会の構造による部分があまりにも大きい。だからこそ、田舎から上京してある意味で自由な翔太にはタカラの心情が当初うまく理解できない。しかし、そんな二人だからこそ物語が始まったとも言える。
同時にどこにもいけなかったある出来事や人物の被害者であったタカラが翔太と共に走り出す、逃げ出す疾走感だけは悲しみや憎しみや後悔を遥か後ろに置いていくほどの眩しさがある。

体が躍動して汗が飛ぶ、若さが溢れている。もう、それだけで青春映画だ。二人が駆けていく姿は物語の最初の方にある高齢者施設にいる老人たちと非常に対象的でもある。
もうすぐ死を迎える人たち、彼らが迎える死から逃げ出すようでもある。若い二人は自分たちが起こした出来事から逃げる。
いつかは終わる逃避行。追いつかれるな、逃げろ逃げろ、捕まるな。
それは、ひそやかな永遠。

海辺の風景、深夜の道路沿い、そこにある音、後悔とそれぞれの感情の吐露。翔太がかつてやっていたことへの反省や後悔は、物語の最後のワンシーンでの「笑顔」にまつわるシーンできっと押し寄せる。そう、かつてあった縁の可能性と出会ってしまった時間の先に、彼は彼女同様に生き直すしかないと決意するのだろうか。

芋生悠という女優さんは不思議だ。表情がどんどん変わるから同じ人物かわからなくなっていく、感情が死んでいたタカラはひそやかな永遠の中で新しい感情を手に入れる、いや、かつてあったものと再会する。そのためには翔太という急に現れたイレギュラーな存在が必要だった。

誰かが自分の手を引いてこの現実から逃げ出したいと思っている人たちはこの映画を見て、二人のように走り出したくなるだろう、でも、そんな相手は現れないかもしれない、そして、何かから逃げ出したらそのツケはいつか払わされるし、追いかけてくる。それでも、死ぬよりは逃げた方がいい。どんな悲劇的なことが起きても、生きて走って食べていけば感情だけは失わずにすむはずだから。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?