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引き出して産み出すアート

武蔵野美術大学大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダーシップコース「クリエイティブリーダーシップ特論」の講義に関するレポートです。

2021.05.03 第4回 キュレーター/鈴木 潤子さん

今回は現在キュレーターとして様々な展覧会やイベントのキュレーション、運営、広報業務、執筆活動を行っている鈴木さんにお話しを伺った。
驚いたことに、美術大学出身ではなく、「マスコミの勉強をし、時事通信社に入社した」ことがキャリアの第1歩だった。
取材するより取材されるようなコンテンツを作りたいと思ったことがきっかけとなり、日本科学未来館に勤務しキュレーションの基礎を学んだとのことだった。

現在手掛ける、なおえつ うみまちアートについての軸に、アートとは何か、キュレーションとは何か、人を動かすとは何か、という点について熱く語ったくださった。

ちなみに、なおえつ うみまちアートはほんのつい数日前に記事になっている、新潟県上越市でこの夏行われるアートイベントだ。
https://www.niigata-nippo.co.jp/news/local/20210506614794.html

問われるアートの価値

授業の最後の質疑のタイミングで「アートの有用性とは」と高校生からの質問が上がった。(もっと丁寧な書き方だったが)
そのような質問が上がることに驚き、そのあとの鈴木さんの回答にさらに驚いた。

「アートは恋愛みたいなもの。有用性はあるか疑問だが恋に落ちてしまう時もある」

鈴木さんはアートを何か特別なものと考えているわけではなく、私たちが不意に落ちてしまう恋のようなものと考えている。「現代アート」に対する誤解を解く際に「アートはみんなの中にも、間にもあるもの」と伝えているそうだ。

ただ、アートのイベントを開催すれば地域の外からも人がやってきて、その結果、街が活気づく。そんな効果がアートにはあった。
しかし、この1年超続くコロナ禍で人の移動自体が制限される中、いかに外から人を連れてくるかではなく、どうしたらアートで地域の中、街の人の活気を取り戻すことができるかをゼロベースで問われる時代になっているとのことだった。

その問いに対する回答の1つが冒頭で述べた、なおえつ うみまちアートだ。
(今夏、行けるものなら行ってみたい)

キュレーターに求められるもの

そんなアートの価値が再度問われる時代に、キュレーターに求められるものの1つが「一番いい作家を一番いい形で地域にフィットさせて新しいものを生むこと」だそうだ。

そうなると、アートの知識があるだけでは足りない。アーティストと地域をうまく結びつけることが必要とされると理解した。
そうなると、アートを地域に押し付けるわけにもいかず、地域をアートに押し付けるわけにもいかず、両者のバランスが重要になってくると考えられる。この点、鈴木さんは「アートは押していく力が強いイメージがあるが、質問する力や面白いなと思う力(=引き出す力)が重要」と考えていらっしゃり、それが確かな鈴木さんの現場力へ繋がっていた。

なおえつ うみまちアートは鈴木さんが小さな企画を行った際に、直江津の人と喋ったことが後に繋がったイベントだ。その後もコミュニケーションを行い「直江津の人は海に誇りを持っている」と理解するに至ったという。
また、それだけではなくご自身が日本海にきれいに夕日が落ちるところを実際に目の当たりにし、惚れて、これでやれると思ったとのことだった。
この「コミュニケーション」と「惚れ」が地域とアートの架け橋になっていると感じた

好き・得意なこと/嫌い・苦手なこと のセット

授業の後半、鈴木さんから「好きで得意なことを仕事にしてみたら、嫌なことや苦手なことがセットだった。あなたならどうする?」という問いかけがあった。

「困難すぎるとモチベーションが続かない」という正直な気持ちを伝えてくださった鈴木さんからのこの問いかけはちょっと重たく響いた。

この問いに対する現状での正解回答は今すぐには出ない。
とりあえず大抵のことは好きになれるからまずそこでOKだとして(どんなに嫌だと感じるプロジェクトでも1つは楽しみを見つけて何とか乗り切ってきた)、
仕事の環境が変わり、嫌なことや苦手なことというより「できないこと」が多い私にとっては結構な課題だ。

まとめ

具体的なエピソードを色々伺い、とにかく一緒に何かをやり遂げる、圧倒的な現場力をもっていらっしゃる方なのだと感じた。(朝から晩まで海辺に立ってアーティストと実験するだとか)
その現場力をもって様々な人を繋いでいくのがキュレーターだと理解した。
そんなキュレーターの鈴木さんの言葉で一番心に残ったのが

誰よりこの作品が見たい、みんなに見せたいという気持ち。楽な道は選んでいない

という言葉だ。

自分が見たい・見せたいと思うものに久しく出会っていない。(自分が見たい、はあるが人に見せたいまで行くものがない)
色々なもの・人・場所に恋する力が人を突き動かし、新たなものを生み出すのかもしれないと思った。

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