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苦しい顔を見せてくれる人を好きな人になりがちという真面目なフェチの話

ここ最近、昔より人生が楽しいなーと思うのは、1対1で自分のことを聞いてくれて、相手も自分のことを話してくれる。というマンツーマンの関係性の人が増えたことが一番の要因だと思う。友達がたくさんいる!付き合ってる人がいる!家族がいる!洋服が買える!いい会社で働いている!ってことじゃなくて、というか、そもそも、そういう「俺満ち足りている!」という視点ではなくなった。相手は、友達だったり、同僚だったり、上司だったりと、関係性のラベリングはバラバラです。

私は最近まで自分のことを話して聞いてもらう。という所業が大変に苦手だったので、そういう関係性をなかなか築けないでいたのですが、やっと32歳になって、自分の気持ちを言葉にできるようになってきて、1対1で色々と話を聞いてくれる・聞くことが好きな人が周りに少しずつ増えてて嬉しいしなによりとても楽しいです。

といった、なんか優しい書き出しとは真逆に、私が一番好きなのは、彼らの苦しんでいる顔なのです。(嫌なやつ)実は。だから、昔苦しかったこととか、悲しかったこととか、しつこく聞く。そこで私に苦しい顔をさらけ出してくれると、もうなんとも言えない気持ちになる。同じ気持ちになってわかるわかるその苦しさ…っていう気持ちとか、自分に話してくれた嬉しさとか、そこにどう向き合って、もしくは逃げて今この場にいるか。を想像すると、ぞわぞわしてぞくぞくする。もっとその人のことが知りたくなる。もうこれは、私の中の衝動的な何かなのです。

私は人の「欲望」にすごく興味があるのですが、それは、今のその人を形作っているものって、色々と剥がしてしまえば、恥ずかしくて熱くて(もしくは冷たくて)生々しい欲望しか残らないのでは?と最近思うから。そしてそこが一番その人の中で、その人を動かしている強いものだと思うのです。欲望は、生まれつき持っている探究心とか、好奇心の場合もあれば、後天的にその人に備わるコンプレックスや、向上心の場合もあると思います。

自分の場合はなんだろう。先天的な欲望は、好奇心は旺盛で、やっちゃダメなこともやってみたくなりがちだと思う。後天的な欲望に関していうと、承認欲求なのかな〜。すごく美人だったら絶対ものづくりなんてやってないなあ〜とはよく思います。(笑)もともと子供の頃から自然とものをつくっていたが、思春期の途中で美大を目指したのは、勉強もできない。容姿にも自信がない。つまらない自分を、どこかで誰かに認められたくて始めた気がします。長く続けすぎているので、今は少し変わりつつもありますが。

ま、苦しい顔とか生々しい気持ちを見せるって、プライドが高いとなかなかできない。あとそういう「うわああああっ」て気持ちを言葉にするスキルもいるから難しいよね。どんなに仲良しでも、絶対にそういう面を見せない人もいるし。(そういうスタンスの人もいるし、そもそも自分の感情に向き合う趣味がない人は、辛い出来事をふっと日々の流れに流して覚えてなかったりもするので、まあそれぞれだよな。と思っている。そしてそういうタイプの人にはそういう話はできなかったりする。)無理強いして見せてもらうものでもないから、ふと、その苦しい顔が見れる瞬間が訪れると、ぱああああ!ってなる。ゾクゾクして、この人と向き合って見たい。この人に賭けて見たいと思う瞬間って、そういう苦しい顔だったりするよ。だから私も、苦しかったことは積極的に話すようにしてるけど、私が話すとなぜかちょっとマヌケな出来事の話になりがちな気がする。話し方の問題?

何に萌えるかはほんと人それぞれだよね。ということで、私の個人的な萌えポイントでした。

将来は、小さな連載を数本抱えているおばあちゃんになりたいです。