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重たい鎧をやっと外せた話。

お久しぶりです。まなつんです。

久しぶりやのにタイトルが重たい。(笑)先日西川史子さんのyoutube”キャラに食い殺された私”を見て「え、私と同じやん。」とめっちゃ共感するところがあり、そのことについて書いてみようかなと思います。


強がり?要らぬプライドができた原体験

私は兄二人いて、末っ子の長女で育ちました。自分で言うのもあれですが小さい頃から本当になんでもできる子でした。頭はそんなにいい訳ではないんですが、運動や音楽、家庭科、美術、書道など副教科といわれるものは全部中高ではオール5、オール10でした。ここだけの話、それなりにいい高校に行けたのは内申点が高かったから(5教科よりも副教科に対する係数が大きかったから)です(笑)親が喜び、親から褒められることが嬉しくて、もっと喜んでほしいなと思いながらも子どもの時は楽しく色んなことに挑戦していました。

家族の体調不良

私が中学3年生の時に母が体調を崩し、長男も体調を崩してしまいました。次男はお気楽な人(良い意味です)だからか父からは「お前だけはちゃんとしていてくれ」と言われたり、母からも「(私の頑張りが)生きがいになっている」と涙ながらにも言われたことがありました。「ちゃんとしていてくれ」、という言葉もただ元気でいてくれという軽い意味だと思いますが当時中学3年生だった私は「私だけはちゃんとしていないと!頑張らないと!」と強く思いました。もっと喜んでほしいな♪と思って楽しんでいたのがいつの日からか「なんでもできる自分でいなきゃいけない、親のためにも。そしたらみんな喜ぶし元気になる」と自分を追い詰めるようなプレッシャーに変化していました


何もできなくなって気づく本当に大切なこと

そして社会人4年目。銀行から転職しキャリアアップ、仕事の成績もよく周りの人からもすごい!と言われることが多かったのですがその矢先に体調を崩してしまいました。2ヶ月ほど休み、もうその時は絶望。初めて何もできない自分になってしまったから。一番なりたくない姿になってしまったから。でもなんかちょっとホッとしたんです。現にそんな状態になってしまってもみんな変わらず傍にいてくれて、変わらぬ愛で溢れていたから。

できない自分もいるんだよって自分で認めたかったし、親にも見てほしかった。そのことも母に伝えたら「もう頑張らなくていいよって、ずっと言ってあげたかったのに言ってあげられなくてごめんね。」と謝られ、私が身に着けていた重い重い鎧が粉々になり、身も心もすごく軽くなりました。本当に大切なことは私が私らしく生きること、自分の幸せのために健康に、笑顔で。それだけでいい。そしたら自分の大切な人たちも笑顔で溢れると改めて気づいたんです。

できないと認めるからこそスタート地点に立てる

これはバレンサ―CEOのあべたかに教わったこと。「なんでもできる自分じゃなきゃ」という想いから始まると失敗しない、負けないフィールドしか選ばないようになり成長という観点では真逆をいってしまう、要らないプライドを持っている状態だと。「私はこれはできない。だけど頑張る!」とできないことを自分で認めるからこそ色んなフィールドで挑戦することができて本当の意味で0から学ぶことができる。そして初めて自分の血肉となっていくと。これを教わって鎧が外れたどころか羽が生えましたね。(笑)本当に感謝しています。


原体験からわかることって本当に深いことばかり。自分を知るために必要と思われがちですが、それだけじゃない。その先にあるのは自分の幸せです。自分を知るからこそどんな人生にしたいか、どう生きていきたいか、誰と関わってどんなことをしていきたいかが明確になる。自分で考え自分で動く、自己理解と自己決定感が人の幸福度を上げるんです。私が思うに原体験ワークは自分にとっての幸せがなんなのか?を明確にする手段の一つです。


サクッと書くつもりが結局このボリューム感。(笑)

更新が滞らぬようゆるーくやっていきたいと思います。

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