児童労働は善か悪か

今日の学び

「子どもは学校に行くべき」という幻想
UNCRC(子どもの権利条約)では、子どもの教育を受ける権利(ドロップアウトしにくい制度・体罰の禁止など)が記載されている。
あくまで、「受ける権利」であって、「受けなければいけない」訳ではない。

UNCRCでは、子どもの声を発信して聞いてもらう権利も記載されている。だから、子どもたちがもし「学ばないで仕事したい」と言ったら、それを受け入れる土壌が社会に求められているとも言えるかもしれない。

そもそも日本でも、仕事の中で「見て学べ」という。
中学を卒業した段階の子どもたちが、将来どこで使うか分からない数学や古典を高校で学ぶくらいなら、15歳から職業訓練して専門性を身につけた方が、よっぽど効率的って思うことだってありえる。

つまり、学校で学ぶべきというのは、大人のエゴなのではないか。

子どもたちは未熟で守られるべき存在だから、学校という場所で成長を遂げなければいけないというのは、大人が作り上げている「子ども」という幻想なのではないか。

むしろ、学校という枠に押し込め、「大人の社会」からの排除なのではないか。

子どもの「agency」
agency= 変化を起こすために、自分で目標を設定し、振り返り、責任をもって行動する能力。
よく日本の文科省に記載されている「生きる力」に近いと考えられる。

OAUのAfrican Charter of the Rights and Welfare of the Child 1991では、子どもたちには必要に応じて親を助ける責任があると記載されている。アフリカでカカオ採取をしていた子どもは児童労働になる。でも、そのおかげでその日の夕食をナタで狩れるし、身の守り方も知っている。

働くことがメリットにつながることもある。

Rachel Burrの “The complexity of morality: Being a ‘good child’ in Vietnam?”にも記載されている。
ベトナムでは、孔子の親や先祖を敬うという風習が根強い。親を助けることが良い子ども像だから、(特に貧困家庭の)子どもたちが児童労働を自ら選ぶことがある。実際に街中で不法児童労働をして「更生」センターに送り込まれる矛盾などもあるらしいが。

家のお手伝いをしたら褒められるのに、一歩外で同じことをしたら「児童労働」と言われる。

児童労働=悪という価値観は西洋的価値観であり、本来はその国の風土・風習なども鑑みていく必要があるのではないか。

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自分の中での不明点

・特になし

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個人的見解

ハッとさせられる内容だった。
子どもたちが大人と同じ給料・社会福祉・権利を持ち合わせていたら、児童労働は悪にはならないのではないかという議論もあった。家のお手伝いと児童労働の線引きはなんだと思うし。

いざ、自分の子どもが中学卒業した段階で、高校行かないで働きたいって言い出したら、めちゃくちゃ悩みそうだなと思う。
この授業の中で、子どもの人生のことをだれが一番知っているかっていう議論もあったな。

個人的には、子どもの人生は子どもが一番知っているだろうし、絶対的な決定権は子どもにあると思う。どんな選択をしても、それはその人の人生だと思うし。それが例え子どもでも。
そう考えると、自分の子どもだったらプレゼン資料作らせて、質疑応答でばちばちに詰めて、何度もプレゼンさせて、詰めるところがないと判断したらOKするかもな笑。

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