医学部の闇

大学院1年生で初めて学会デビューした時、データに基づいて真実を語った。問題はその説が、東大医学部教授で学会長である先生の説を覆すものだったということだ。

私は研究者として当たり前のことをしたと思うし、間違っていると思っていない。しかし、助手が真っ青な顔をしてやってきて、指導教官に謝罪に行けと言われた。なぜ謝罪しなければいけないのかわからなかった。理由を聞いても理解できなかった。科学者として研究者としての倫理観から行動しただけだったからだ。
わからないながらも、とにかく謝れと言われて、意味がわからないまま「申し訳ありませんでした」と悔しくて泣きながら謝った。

今思うと、これが私の、研究者としての苦難の始まりだった。
お気の毒なあのかたみたいに、利権が直接絡んでないから、そのあと学会で無視されるくらいで済んだのだと思う。
しかし、日本にいたたまれなくなった私は、私の論文を評価してくれた先生のいるアメリカに逃げた。

帰国して5年くらい経った時に、私の論文を否定し無視した事柄を、まるで自分が提唱したかのように得意そうに語っている学会長をテレビで見てあきれた。
パワハラ・アカハラ・セクハラ、いっぱいいっぱい。
ありすぎて書けないし、別にどうでもいい、すぎたことだ。

研究分野も変えた。
学会も変えた。
でも同じようなことが起きたから日本の学会は全部やめた。
論文は英語でしか発表しないことにしたのは2005年頃だったかなあ。
でも、国際的な舞台でも同じことが起きてきた。

学問や研究に対してモティベーションがなくなった。
お茶や歌や料理やサップの方が幸せな世界を作ると思った。

で、今の私。

闇の暴露なんて趣味はないし、思い出したくもないおぞましい世界だけど、なぜ私がこんなにワクチンの害他めげずに書きまくっているのか、その背景を知ってもらいたくて。

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