発達障害なの?

妖精さんとか、天使とか、よく言われるのですが、この世ではないふわふわしたとこにいるからか?この世的には人とズレてしまって困ることがあります。
価値観とか見えているものが他の人と随分違うんだな〜と感じることはよくあります。小さい頃から、これでも一生懸命人間に合わせようと努力してきた結果、ここまで頑張れてます。
優しい皆様が合わせてくださっているのでなんとかやっていけてるみたいで、とても感謝しています。

というところで、これはどういうことか、心理学的に分析してみようと思いました。個性的すぎるのは、アスペルガーだとか、 ADHDだとか発達障害って括りで語られることが多かったりしますが、それはそもそも障害だと言えるのかどうか私にはわからないです。障害と言うと、自分や人が困っって助けが必要ということになります。確かに助けられてありがたい面はありますが、弱者ではないと思うの、決して。

卵の代わりに時計を茹でてしまったニュートンとか、裸でお風呂から飛び出して走り回ったアルキメデスだっけ?彼らはただ少し頭のある部分の働きが異常に発達してそのために他の部分の働きがときに阻害される、それだけの話だと思うの。
自分でご飯も作れない、お風呂のスイッチも入れられないと言う男性が昔いましたよね。やんごとなくお生まれの方はご自分でお手洗いも一人でできなかった?普通の人から見たら??でしょう?生まれ・育ち・環境によって、人それぞれ得意不得意が極端な形で現れているだけで、面白がっていたら良いのかもしれません。できる人ができることをして助け合えばきっとうまく回るはずです。そう思いませんか?

私の方向音痴と機械音痴はかなりのものです。コピー機が使えなくて(頑張ってやろうとしたら壊れる・・・)人に頼んでいたのは大学生の時から今に至るまで続いています。自転車の空気入れもできない人だから、ギアチェンジなんて高等なことができるはずもなくトライアスロンに出て、死ぬ思いをしました。とか、笑える話は限りなくあります。
仕事がオンラインになって、パソコンは3回壊れ、携帯も壊れ、私自身もストレスで何回か壊れました。

でも、私にしかできないこともいっぱいあると思います。冷蔵庫の中身を見て買い物に行かないで素敵なディナーを演出する術はかなり自負してます。お掃除もかなりうまくて早いです。人のいいところを発見して表現するのも得意です。
そんな私が、なぜ大学院まで行って研究なんかしてるのだろう?きっとそれは、このふわふわで飛んで行ってしまいそうな私を、地上に括り付けるためなんだろうなと思っています。本当は、論文読むよりお空を眺めていたい、一人で好き勝手に歌って踊っていたい、それが私です。

私にとってのアートとか自己表現は神様との対話だから、人と合わせることはできないし、観客を意識することもないのです。ウケ狙いはないし、研究資金がもらえそうで注目評価されそうなテーマをやると言うこともないです。一人でうっとり神様との世界に漂っていて、周りの人が見えていない、そう言う傾向はあると思います。すべての人の中にいる神様を見つけて喜んでいけますように、これが私の課題です。

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