地域おこし協力隊という生き方
今日は、地域おこし協力隊としての最後の日。(と言いつつ10分くらい過ぎてしまいました…!)
この3年の一区切りでもあるので、撮り溜めた写真たちと共に、思いを馳せながら書き留めたいと思い投稿しています。
協力隊になった経緯
音楽家として
フランスの音楽院を卒業後、日本に帰国しフリーランスのフルート奏者として活動していました。
所属していた芸劇オーケストラ・アカデミー関連のお仕事や、オーケストラのエキストラのお仕事など、コロナの影響を受けながらも少しずつお仕事を頂いていました。
ですが、東京を中心に活動していた頃の私は、どんな音楽家になりたいのか、何も見えていませんでした。
ただフルートが好き・音楽が好きで学んでいた学生時代。そこから好きな音楽で仕事を貰い始めて浮かれ、そのまま周りの音楽家がこうだからとか、自分で考えることなく何となく音楽家を名乗っていた気がします。
そんな時、芸劇で行われたゼミで地方にいかに音楽を届けるかという話があったんです。
都会では溢れ、田舎では足りない。これからは自分たちで届けにいかないといけないのではないのか。
実情と、今のままで良いのかという問いに頭を打たれたような感覚でした。
地方でも音楽家が生きていければ。みんなが好きな場所で好きな仕事を諦めることなく出来るようになれば。
とてもワクワクしました。
日本での活動基盤も出来ていなかったため、動くの今じゃない?と思いました。
みんな興味はありつつも動けないなら、私がやっちゃえば良くない?と思いました。
そこから、「地方 音楽」で検索する日々が始まり、地域おこし協力隊という存在もそこで初めて知ったんです。
錦江町との出会い
お金を貰いながら自分のやりたい事にチャレンジできる。私には地域おこし協力隊の制度がそんな風に映り、地方でいきなり上手くいくかも分からないからこそこれは利用するしかない!と思いました。
募集記事が出ていた色んな地域に問い合わせをしたり、説明会や面談に参加した中に、のちに地域おこし協力隊として活動することになる錦江町(きんこうちょう)もありました。
地域の課題である医療や福祉、農業とは全く違う分野。地方にもアーティストを受け入れるような場所を作りたいと話すと、苦い顔をされる事が多かった中で
面白いですね!
錦江町の一言目がそれだったんです。
まずは見に来て下さい!と誘ってもらって遊びにに行った際、「失敗しても良いから3年間でどんどんチャレンジしたら良い。その尻拭いは自分たちがするから。」と言われました。
初めましての、どこの誰かも分からないただの若者にそう言ってくれる大人がいる。なんだこの魅力的な町って思ったんです。
チャレンジするならこの町が良い。心からそう思い、すぐに応募。無事に採用して頂きました。
初めての町、1年目
鹿児島県の田舎町・錦江町にて移住生活が始まりました。
生活スタイルの何もかもが変わり、毎日が刺激的で新鮮でした。
まずは車。電車の通っていない大隅半島では車の運転が必須です。私は免許を持ってませんでした。
大阪生まれで仕事も東京。電車もバスもある生活しかしたことがありませんでした。協力隊になるまで、自分の人生で運転免許を取得するなんて夢にも思わなかったです。
次にご飯。とにかく量が多い!そして「もっと食べな〜!」と沢山振舞ってくれる方が多く、移住して1ヶ月は、これ以上ご飯食べたくない〜という贅沢な期間でした。
最後に仕事。協力隊の先輩たちはそれぞれミッションが違い、私も広報クリエイターという新しい役職でした。だから先輩ではあるけれど、仕事を教えてくれる立場とは少し違います。
さらに、良い意味で役場の仕事を押し付けられるような事が無かったので、自分で考えて動かなければいけません。最初は自分の仕事は何なのか・何をすべきなのか分かりませんでした。
協力隊1年目は、移住生活を楽しんでる姿を見せるのも仕事だよ。だからまずは思い切り楽しんで!
そう言われた言葉が今も残っていて。とても救われたことを覚えています。
2年目
あっという間に2年目。1年目と違って予算も自分たちで組み、本格的に動いていくための年が始まった!という感覚でした。
それと共に、もう協力隊生活も半分経つという事に驚きと焦りを感じました。
このままじゃ何もやれずに協力隊が終わってしまう。折角もらった、存分にチャレンジして良い機会なのに。
攻め攻めの町長からはもっとやれ〜もっとチャレンジしろ〜と人づてに言われた2年目。出来る限り走り抜けよう!と仕事も遊びも詰め込んだ1年だった気がします。
3年目
いつの間にか最終年度。退任に向けて動いていく中で、なんと法人を設立しました。
自分でも全く予想していませんでしたが、やりたい事を続けていくために考えていった結果、会社の代表にもなったしクラファンにも挑戦しました。壁にも沢山ぶつかった年でしたが、何とか最後まで駆け抜けることが出来ました。
協力隊として活動して
猛烈に濃く、そして瞬く間に過ぎ去った3年。
結果この3年という区切りが私にはちょうど良く、チャレンジを段階的に設計していけた気がします。
ダラダラしちゃいがちな性格なので、程よく焦りを感じることが出来たのは有難かった...
正直、どんな場所かも上手くいくかも、思ったように活動出来るかも分からない中での移住。自分が感じたワクワクを信じて一歩踏み出して、本当に良かったと今なら言えます。
錦江町での沢山の出会いとチャレンジは、自分の財産になりました。全てが愛しいし、ありがとうに溢れています。
ま、このまま錦江町でまだ頑張る日々が続くんですが...!
地域おこし協力隊。色んな意見があり、地域によって色も様々だと思います。次に進むためのステップとして活用させてもらえて、その結果明日から錦江町での新生活が始まります。
自分の感じたワクワクを大切に、これからも日々楽しみます!
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