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毒親 変な家④

父は晩年は穏やかになった。
珍しく近所の盆踊りに行こうと母を誘ってきたらしい。
今までそんなことは絶対にしない人だった。
家族旅行にもほとんど行った事がなかったし、家族で行動することを嫌っていた。

母もそれは嬉しかったようで、お祭りを楽しんだようだった。
最後の家族サービスだったのかも知れない。
私はその頃家出同然に一人暮らしをしていたが、お祭りでの二人を見てみたかったと思う。
大音量の炭坑節が流れる中で何を話していたのか、笑顔だったのか。

その年父は亡くなった。
脳卒中で突然のことだった。
真夜中だったが、近くに住む親戚が病院に集まった
祖母は電気の消えた待合室で、唯一不自然なほど明るい自動販売機の前に座って俯き、
「親より先に死ぬなんて一番の親不孝だ」
と言っていた。
父は4人兄弟だが、他の兄弟たちは冷たかった。
父が兄弟たちを保証人にして借金をしていたから、亡くなったことよりも自分のお金の回収のことが気にかかっていたのかも知れない。
お葬式の後に言い争いになった挙句、その後連絡は取っていない。

親戚ってこんなものなんだ。
他人のようで他人ではなく、助け合うようで時には見捨てられたり。

暖かい愛情のある家、あるように見える家
うちの家族に愛情はあったのかなかったのかと言えば
少なくとも結果的に捨てられてはいないし、毎日お弁当を文句を言いながらも作ってくれた母と、
私の好きな雑誌を毎月必ず発売日に本屋に寄って仕事帰りに買って帰ってくれた父。

嫌なところも散々見て、傷ついたりしたけれど結果愛情はあったように思う。
ここのところの毒親ブームと自己肯定感上げるブーム?で、時々自分の生い立ちがとんでもなくひどいように思えてきて(実際よくないかも知れないけど)、愛情を受けなかったせいで私は人格形成がうまくできなかったと未だに親のせいにしたくなる時があったので少しまとめてみたところ、最後に意外にもいい思い出も共に蘇ってきた。

もちろん根っからの毒親みたいな人も世の中にはいると思う。
虐待するような親を肯定することはないけど、人をいじめるような人はその人自身も幸せを感じられず不幸の沼に陥って思考が偏ってしまっているように感じる。

私も人に裏切られたり、ホルモンのバランスを崩したりするとしばらくそちらの世界の住民になってしまう事がある。
愛情のある世界と暗く悲しい世界
どちらも存在して、どちらにも行き来するけど暗い沼に一度嵌ってしまうとネバーエンディングストーリーの悲しみの沼から抜け出せなくなった馬(わかる人いるのかな)みたいにズブズブと深みに引っ張られて戻ってくるのは容易いことではなくなる。

ここのところ沼っていたので、ひとときでも愛情のある世界の住民に戻りたくて書いてみました。
自分語り長くてすみませんが、読んでくれた人がいたらありがとう。





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