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優しさと理想


最近、自分と向き合って、自分について考えることが多くなった。その中で、私が思い描く自分の理想像がなんとなく見えてきた。

今回はそれを言語化していく。



今の自分

よく周りから、優しいねって言われる。

人に優しくありたいって思うのは私だけじゃないと思う。誰だって優しくされたら嬉しいし、嫌な気持ちになる人はいないんじゃないかな。

でもたまに、ごくたまに、その優しさは人を傷つけることもある。だから難しい。優しさって単純ではなくて、いろんな優しさがあると思ってる。

最近は、自分だったらどうするか、自分だったらどう思うかってことを考えるようになった。相手の気持ちを考えるとき、相手の立場になって自分を客観的に見ることができるようになった。

昔よりも確実に、優しさの幅が広がったって感じかな。いろんな方向から考えることができるようになったし、その考えが深くなった。

優しいって言ってもらうのは嬉しい。だけど、なんとなく自分の中で違和感がある。


違和感の正体

優しいねって言葉は抽象的。その言葉にどんな意味合いが込められてるんやろう。

いつも笑顔だから優しい?困ってる人を助けるから優しい?どんな話も聞いてくれるから優しい?なんでも受け入れてくれるから優しい?

もちろんそういう優しさもある。どれも正解。

だけど、その優しさは、私がなりたい優しさとはなんとなく違う。そこに私の違和感が生まれる。



優しさと

端的に言うと、私は優しくて強い人になりたい。

ただ優しいだけじゃなくて、その先に自分の軸だったり考えだったり、自分なりの芯を持っていたい。

強さってなんやろう。ここで私が想像する強さは、体力的なものでも、精神的なものでもない。言葉にするなら自分かな。

なにかあったとしても自分を見失わず、どっしりと構えていたい。周りの意見もちゃんと聞く、自分の中に落とし込む、でも決して自分の意見はなくさない。しっかりと大切に持っておく。そしてちゃんと伝える。

小さいころから、女の子が好きそうなかわいいものよりもクールでかっこいいものが好きだった。プリキュアで例えたら、ピンク色の主人公より青色や赤色のクール系。その頃から、かわいいよりかっこいいを求めてたんかもしれんなあ。

好きな色がピンク色じゃなくて青色なのも昔から。


優しさと強さを兼ね備えた人。理想となるモデルの人はいないけど、これまで出会ってきた人、これから出会う人のなかで、いろんな憧れを見つけていきたい。そして少しでも憧れに近づけるようにしたい。

どんな大人になれるかなあ、数十年後が楽しみ。





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