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大切な時間


前回は、TABIPPOと出会って、スタッフになるまでを文字にしました。

今回は、その続き、スタッフになってからの一年間について書いていこうと思います。

今更感はありますが、けじめをつける意味も込めて​。


目次
1.新たな環境
2.原点
3.旅大学というもの
4.居場所
5.活動の終わり


新たな環境

2019年春、ついに私のTABIPPO生活が始まった。

とはいえ、最初の頃はわからないことばっかりで、グループの通知や流れてくる情報についていくので必死だった。

夏、Cブロ合宿先の沖縄で、初めてメンバーにオフラインで会った。人見知りの私は、集合場所にたくさん人が集まってるのを見て全力で帰りたくなった、けど、代表副代表をはじめとするみんながあたたかく迎えてくれた。お別れの時、さみしくてうるうるしちゃうくらいにあたたかくて激アツな最高の2日間だった。

それからというもの、初めて旅大学の企画をしたのを機に旅大学チームを希望し、本格的に旅大学というものに携わっていった。夏には少人数での合宿にも参加し、少しずつオフラインで会う人が増え、会うたびにだいすきになっているのが自分でもわかった。

冬になると、私は毎週のようにみんなに会いに行っていた。自分のチームに限らずほかのチームが企画した旅大学にも参加した。そこで出会うスタッフや参加者さんたちとの交流が本当に楽しかった。あの頃の私のモチベは「会いたい」ただそれだけだった。

こうして私のふっ軽さが加速していった。と同時に、活動やメンバーに対する思いも大きくなっていった。


原点

ここで少し、私が旅大学チームを希望するまでのいきさつを振り返る。

チーム希望を出す前に、ランダムでチームができ私はある旅大学の企画をすることになった。チームメンバーは会ったこともないお兄ちゃん2人。

イベントの企画なんてやったことないし、そもそもそういうイベントに参加したこともないし、本当に右も左もわからない状態だった。お兄ちゃんが積極的に話を進めてくれたので、ひたすらついていった。

少したってやっと私に初めてのタスクがふられた。ワークショップで使うプリントを作るというものだった。なにもわからないなりにいくつか案を出した。でも私の案はいろんなものが足りておらず、ダメ出しばっかり。少し改善して提案してもまたダメ出し。その繰り返し。ぜんぜん納得いくものを作れなかった。

私を否定したくてダメ出ししてたわけじゃないことはわかってた。でもなんの経験も知識もない私にとって、求められているもののレベルが高すぎた。まさにスパルタ。たぶん、一年間の活動の中で一番つらかった時期と言っても過言ではないくらいには全てを投げ出したかった。逃げ出したかった。周りにはまだ相談できる人も愚痴れる人もおらんかったし、もうどうしていいのかわからんかった。けどやるしかなかった。

そんなこんなでなんとか全員の納得いくものができ、当日の運営には行けなかったけど、私の旅大学企画デビューは幕を閉じた。思ってた以上に好評で、褒めてもらうこともあった。あのとき逃げ出さず乗り越えてよかったと心から思った。

でもやっぱり悔しさは残ってた。このときの私は完全にやらされていた状態。とにかくお兄ちゃんのおっけーがほしくてやってたけど、イベント当日のこととか、その日に来てくれる参加者さんたちのことは全く考えれてなかった。もっとちゃんと企画できるようになりたい、そう思ったのが旅大学チームを希望したきっかけ。この最初の旅大学は間違いなく私の原点だった。

ちなみにそのときのお兄ちゃんたちは、今となっては愛と尊敬であふれてる。スパルタ指導をしてくれたお兄ちゃんも、それを見守りながらよく頑張ったねって褒めてくれたお兄ちゃんも、みんなから愛されるお兄ちゃんたちになってるのちょっと嫉妬しちゃうくらいにすきだし、絶対に三人で写真撮りたくて、写真撮るよ!ってふたりをカメラの前に連れていくくらいすき。

はい、こんな感じでイベントの企画と運営に興味をもちました。以上!


旅大学というもの

その後チームが決定してからは、新しいチームのメンバーと旅大学の企画運営をしていくことになった。

正直最初はやりにくかった。どんな人かもわからない人たちとの話し合い、なかなかうまく進まんし全然決まらん。早く決めたいのに日程が合わなかったりレスがなかったり。たぶん、みんな似たような気持ちだったんじゃないかな。

でもやっぱりそういうのは徐々に良くなっていくもので。お互いがなんとなくわかってきてからは、少しずつだけどいい雰囲気になっていくのがわかった。より良いものにするために、ちゃんと議論ができてた。最後の旅大学の企画のときはもう、これで終わりかあってさみしかった。たった数か月の短い期間だったけど、いっしょに悩んで考えて話し合って、実際に運営して嬉しい評価をいただいたり反省したり、たまには雑談してめっちゃ笑ったりもしたなあ。

うまくいくことばっかじゃなかったけど、それをいっしょに乗り越えてきたみんなは気づかんうちに大切な仲間になってた。

旅大学のなにがすごいかって、旅大学に来てくれた人たちとのつながりだと思う。これは旅大学に限らずコンテストにもいえると思うんだけど、たった一回しか、その数時間しか同じ空間にいなかったのに、インスタ交換して今でもずっとつながっていたり、熱中していることや夢を追いかけて努力する姿に刺激をもらったり、そこでつながった人がやってる新しいイベントに参加したり、ひとつの出会いから得られるものが半端ないんよね。

旅大学に参加するたび、みんなが楽しそうにしてる姿を見てやりがいを感じてた。どのチームの企画も、そこにいるみんなも、最高の空間でした。


居場所

旅大学や合宿で、みんなに会う機会が多くなった。会えば会うほど名前を呼んで迎えてもらえる回数が増えた。集合場所についたとき、会場のドアを開けたとき、私がどれだけ緊張していても、寝不足で疲れていても、そこにはいつもだいすきなみんながいた。私の居場所がそこにあるように感じた。

BPFまでのカウントダウン、これはみんなといっしょにいられる時間のカウントダウンでもあった。最高のBPFにするために突き進む、しかしその日は活動の終わり、つまりみんなとのお別れを意味するものでもあった。その日はいつか必ず来る、でもやっぱり来てほしくなかった。

心の中ではそんなことをぐるぐる考えながら、日々追われるタスクに食らいついた。

どんなにつらくても苦しくても、ひとりじゃないから、いつでもみんながいてくれたから、負けなかった。みんながみんなの居場所である空間に、何度助けられたか。常にお互いを思いやり、助けを求めたら嫌な顔一つせず親身になって寄り添ってくれる。ほんとうに、この上ないくらい、あたたかい場所だった。


活動の終わり

そしてついに、スタッフとしての活動が終わった。

(BPFについても書こうかと思ったけど、なにより今更感あるし、今振り返っても自分の都合のいいように記憶が変わってそうなのでやめときます。当時のことは自分の心の中にそっとしまっておきます。大切な経験として。)

一年弱という期間、いっしょに活動してきたみんなと最後の時間。もう終わりがそこまで迫ってきているにも関わらず、私の目からは涙が出なかった。終わりとかお別れというものに弱い私は、こういう場面になると必ずと言っていいほど涙を流してきた。自分でもこの日は号泣すると思ってた。なのに全くと言っていいほど涙が出てこなかった。自分でも不思議だった。

家族みたいな仲間って言葉がすごく似合う支部だった。大学の友達とも、高校の同級生とも少し違う、特別な存在。旅っていうキーワードひとつでこんなにも大切な人たちに出会えて、旅も人も空間もだいすきになった。いろんな価値観に触れて、人生の選択肢が増えた。ちょっと前向きになれた。助けを求めたら、手を差し伸べてくれる人がいることを知った。いろんな感情に出会った。自分の想いを伝えることの難しさを痛感した。企画運営の楽しさ・難しさを経験した。

得たものを言葉にするときりがない。どの経験も最初っから最後まで録画して何回も見返したいくらい、一瞬一瞬を脳裏に焼き付けたいくらい、そのくらい忘れたくない思い出。思い出って言葉でまとめるのももったいない。笑

こうして2020年冬、私の一年間の活動は終わりを告げた。




つづく








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