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幸せを追っかける権利

約2年ぶりにここに文字を書いてる。
最近久しぶりにnote開いたら、TABIPPOが終わったあとも続けてる人がたくさんいて、みんな凄いなあの気持ち。

このお盆休みに地元のだいすきなお友達と会って、会えてなかった期間分朝方までおしゃべりして、すんごく楽しかった。

けどその中にひとつだけ、ずっと頭に残ってずっともやもやしてることがあるから、記録と頭の整理のために言語化する。

『しあわせ』について。




その友達は、昨年結婚した、立派な新婚さん。
いわゆる惚気話を聞きだそうとおしゃべりしてた時。

「幸せな家庭ってごく1部じゃん?あなたみたいに。」

これを言われた時、この1文字1文字が私の中に刻印されたかのように、頭から離れなかった。
これまでずっと一緒にいたのに、急に突き放された感じがしたのかな、なんだかすっごくもやもやした。



確かに私の家族は仲が良い。それぞれが家族愛に溢れてて、みんな家族がだいすき。
昔はなんとも思ってなかったけど、いろんな人といろんな家族のお話をする中で、私の家族は特別仲が良いんだと思った。

大きくなるにつれて愛に溢れる自分の家族がだいすきになったし、同時に理想の家族にもなった。

だから私が追っかけてる幸せは、自分の家族のような家庭を築くこと。

私の家族とその友達も仲良しで、何度も泊まりに来たりお家でいっしょに過ごしたりしてるから、私の家族のことをよくわかってるし、好いてくれてる。


友達にどれだけ聞いても、いわゆる惚気話っていうエピソードは出てこなくて、幸せを追っかけることを諦めてるようにも見えた。

だから歯痒くなって、あれはどうこれはどうって聞きすぎてしまった。今となっては反省してる。

所詮他人の人生であって、自分の生き方自分で決めてるのに口出ししてくんなって話だよなあ。

友達を怒らせた訳ではないし、その後もいつも通り楽しくお話してたけど、私だけ、その一言だけが妙に突っかかってしまった。

家庭とか家族ってデリケートなお話で、家族の数だけ家族のカタチがあると思ってる。



私が楽しそうに自分の家族の話するの嫌だったかなあとか、
私は幸せを求めすぎてたのかなあとか、
私の幸せを押し付けてしまってたのかなとか、
ぐるぐるぐるぐる考えながら、その日は眠りについた。




たぶんこれにちゃんとした答えがあるわけじゃないし、人それぞれ考え方は違うだろうけど、誰もが幸せを求める権利はあると思ってて。

その権利をどうするかは、それぞれ個人の自由であって、他人が口出しするものではないとは思うけど、少なくとも幸せになって欲しいっていう気持ちはあって。

だから幸せになることを諦めて欲しく無かったんだろうなあ。




うーん、なんだか難しいし言語化したところでなにが言いたいかはわかんないけど、
23歳夏、こんなこと考えてたよ〜の記録として残しとこう。

久しぶりのnoteは東京に帰る新幹線の中での、頭の中殴り書きでした✍🏻



おわり。


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