2歳から保育園通っている間の状況

写真のキレイな残し方からみても、母がいかに几帳面だったのか分かる。
私の記憶の中にも、家が常にキレイで、物がとても少なくガラーンとしており、「あったかい家」といえ感じはしなかった。
それは、友達の家に遊びに行った時に感じる温度差から今も覚えている。
友達の家は、家に入るとなんか温かい感じがしたが、家に帰るとピリッとしているというか硬いというか…
おそらく今思うと、母が私にも父にも几帳面さを押し付けていたことが窮屈に感じていたのもあったかもしれない。
母は、物が散らかっているのが許せない。散らかってるとイーーーっとイライラするそうで、すぐに片付ける。しかも片付け方には母のルールがある。
布系の全ては、角と角をキレイに合わせて、ピーンと伸ばした状態で折りたたむことや、物の置く位置や角度も決まっている。
私が片付けたつもりでも母のルール通りになっていないと修正が入る。
それが何回も重なると母も怒り出すので、私は常に母の顔色を見ながら、母のルールを一つずつ覚えてその通りにすることを心がけた。
子どもだからまだ100%完璧に出来ないが、自分なりに母に気に入られるようにやっていた。
上手に出来て母に誉められると、それはそれはとっても嬉しかった!
また、通っていた保育園もかなり厳しい園で、毎日年齢に合わせて勉強や工作など、課題をとにかくたくさんこなさせるところだった。先生もとても怖く、今では虐待にあたることも普通に受けていた。(今思えば先生達にも余裕がなかったんだろうなと思う。先生がよく変わっていたので、職場環境の厳しさに耐えきれずやめていっていたのかと思う。一度、先生の親が就労状況について文句言いに保育園に来たと噂で聞いたこともある。)
行事も多く、日々の保育の連絡は連絡帳にたくさん書いてあったり、お迎えの時に先生から寒空の中2時間親が説教されることもしばしば。
いまだに保育園の連絡帳が残っているが、母の返事の中には何十回も同じ言葉がある。
それは、

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