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老兵の消え方と生き方

 突然の視覚異常で急遽二週間以上入院し、一ヶ月以上まともに文字が読めなくなるという研究者として致命的な経験をした。そんな中で自分の人生を振り返り、今後どうするかを考えてみた。思うところを書き残してみる。(小野堅太郎)

 健康を害するほど年齢を重ねた老兵は、如何にして消え去るべきなのか。古くから伝わる言葉「老醜を晒す」「騏驎も老いては駑馬に劣る」が今でも伝わるのは、どんなに若いとき優秀でも歳を取れば醜く衰えていくことを示している。さらに、「老い木は曲がらぬ」「老いては子に従え」「老いの繰言」は、歳をとって考えが頑なになり、過去にこだわって新しい時代(社会)に受け入れられないようになる戒めの言葉である。中年になると、これらの古事成語が耳に痛い。

 一方で、「老馬の智」「老いたる馬は道(路)を忘れず」といった、歳と共に積んだ経験や知識が役に立つとのことわざもある。前の三つのことわざと併せて考えると、歳と共に得た経験や知識を若い世代に与えることを優先し、物事の決断は若い世代させてなさい、という意図が読み取れる。つまり、老いて行うべきことは「教育」であり、「実践」からは徐々に身を引く方が望ましいようである。

 もう一つのことわざ「老いてますます盛んなり」は、教育や社会奉仕に関しては良い意味で使われるのに対し、自分の享楽や権力の行使に関しては悪い意味で揶揄して使われる。

 もう47歳ということで兵士としては老兵であるので老兵として語っているのではあるが、大学という職場、特に教授会で考えると比較的若い方である。小野は物申す系なので教授会で発言したりするが、40代の教授の多くは無言で会議中を過ごす。発言を批判的に捉えられると、上の教授陣に怒られたり、後で呼び出されてしまう。

 老醜なのか、老馬智なのかは、若者側の受け取り方による。若者が怒られて反発を抱けば、古い考えに固執する老醜(老害)と見做されるが、納得すれば叡智を教えてくれた老馬智となる。老兵は若者に対してどういった態度を取るかで、醜いとされるのか、賢者とされるのかが決まるのである。これは親子の関係にも当てはまる。老兵は「どう教えるのか」にも気を配らないといけない。

 最近感じるのは、あまりにも時代の移り変わりが早いことである。コロナパンデミックにより、職場は一斉にデジタル化されてしまった。会社という組織であれば、IT系やスタートアップでもなければ、社長は小野よりも歳上の老兵であることがほとんどである。大学もほぼ例外なくそうである。この方達が時代の変化にどこまで追従できたのだろうか不安である。社会の大きな変化は、老兵のこれまでの経験や知識を無効化してしまう可能性が高い。

 つまり、老馬智になるためには「新しいことへの興味」を失ってはいけないということになる。新しいことの実行は若者が行えばいい。老兵は新しいことに対して、自分の過去の経験や知識をどう活かせるかを判断し、若者に伝えなければならない。

 老醜を晒したり、老害と言われないようにするには、若者に聞いてもらうためにどう接するかを試行錯誤し、新しいことへの興味を持続させる必要がある。これはこれで大変である。諦めたら、「消えてくれ」と若者から言われてしまうのである。

 少子化の進む中、定員割れする大学は消えていくと予想される。他大学との統合だけでなく廃校もあるだろう。大学教員の人件費削減は既に始まっており、九歯大も例外ではない。教育と研究(医療系大学は臨床も)をどう進めていくかは困難を極めている。職場から人が去る時は、若い人、優秀な人から辞めていくのが常である。残った者はその中で何ができるだろうか。力を失って船は沈むのか、重量が減ってギリギリ沈まずにいれるのかは紙一重。しかも両方とも明るい未来ではない。大学理事会が経営に失敗したとしても、首を切られるのは下の教員である。自分の身は自分で守らなくてはならない。

 今のところの方針はこうである。教育と研究のデジタル化を推進して効率化を図り、残りの実技部分に丁寧な指導をして若者たちの業績を積み上げる。これに尽きる。部下の業績は自分の業績になる。業績を積んだ部下は優秀な部下であり、過酷な大学雇用環境を乗り切ってくれるだろう、と期待している。

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