『ウマ娘』は競馬界に何をもたらすのか

「ウマ娘」コラボは失敗だった…?

先日、笠松競馬場が行った『ウマ娘』とのコラボは大盛況に終わったようです。

しかしながら、X(旧Twitter)では当日の笠松の売り上げがさほど伸びていないこともありこのような指摘もありました。

確かにネット投票全盛の時代において、競馬場現地が盛り上がっていても必ずしも売り上げがそれに比例するとは限りません。
実際「ウマ娘は競馬業界に”経済的”に貢献したのか?」と聞かれれば、私は否定するでしょう。JRA等の開示情報を見ても売り上げ増加の原因はコロナ禍における巣ごもり需要が大半を占め、ウマ娘が各種競馬業界に与えた経済的影響は微々たるものでしょう。我々オタクの間で多少流行ろうとも、競馬業界はその程度では揺るがないほど巨大であり、多くの人とカネに支えられています。
なんせウマ娘の年間売り上げはリリース時の2021年で1000億円程度ですが、同年のJRAの総売り上げはその30倍、3兆円ですからね。

「馬券の売り上げだけで稼ぐ時代は終わった!」なんて指摘もありましたが、「グッズ・推し活」界隈の最大手ともいえるアニメ市場ですら市場規模は3兆円程度であり、JRA単独の馬券売上だけで張り合えます。競馬業界はこれに加えて地方競馬の馬券売上も1兆円以上あり、共に右肩上がりを続けているのですから、「馬券」というものが生み出す利益が莫大であることが分かります。
近年ではアニメによる町おこし…なんてものがよく話題に上がりますが、アレは「地域経済」という小さな枠組みにアニメ業界からカネが流れ込んでくるから分かり易く大成功しているだけですからね。

高知競馬の例

「人気者の登場で困窮していた競馬場を救う!」なんて物語で最も有名なのは間違いなく高知競馬のハルウララでしょう。ハルウララがいなければ今の高知競馬が存在していない可能性も十分にあると思います。ただ、(Xでも沢山指摘がありましたが)、それは一時的なものであり、高知競馬はその後も存続の危機に立たされ続けていました。


Wikipedia『高知優駿』より同レースの賞金推移
ハルウララブームは2004年ごろまで

実際に高知競馬を救ったのは2009年から開催された「夜さ恋ナイター」、2012年頃のI PATによるインターネット投票の実施、一発逆転ファイナルレースなど。独自の施策で馬券収入を継続的に増やしたから今の高知競馬がある訳です。(あと高知総大将グランシュヴァリエ)

「馬券が売れればそれでいい?」を考える

では、馬券売り上げさえ伸ばしていけばそれでいいのでしょうか。
ハイセイコーも、オグリキャップも、ウイニングポストも、ダービースタリオンも、ウマ娘も、莫大な”馬券収入”の前には無意味な存在なのでしょうか。
それは違います。

せっかくなので、今回はその理由を国際政治の理論を援用して考えてみたいと思います。

ハードパワーとソフトパワーの概念

「ハードパワー」「ソフトパワー」この2つの理論を提唱したのはジョセフ・ナイという国際政治学者です。
競馬民が「武豊の騎乗馬が…」と言って「どの馬よ?」となるのと同様に、国際政治学においても「ナイの著書が…」というと「どの本よ?」となるレベルの研究者です。

この2つのパワーについてナイは

他国に変化を押し付けることは、パワー行使における直接的あるいは命令的な方法である。このようなハードパワーは報酬とか脅迫に依存している。これに対して。パワー行使には、ソフトな、あるいは間接的な方法もある。(中略)ソフトパワーが依存するのは、自らが他を引き付ける着想、すなわち」他国の選好そのものを形成するような政治課題を設定する能力なのである。

  Joseph S. Nye著, 田中明彦・村田晃嗣訳『国際紛争――理論と歴史』(有斐閣, 2017)

としています。要は

・ハードパワー
軍事力や経済力等、他国に強制を強いることの出来る力
・ソフトパワー
文化や価値観などで他国や世界の人々を動かす力

ということです。
これを競馬にあてはめてみましょう。それぞれを高めるための取り組みとしては以下のような物が当てはまるでしょう。

・ハードパワー
馬券発売に手を加え、直接的に売上を増加するような施策
例)ナイター競馬実施、還元率upなど

・ソフトパワー
競馬場のイメージ改善、競馬文化の世間への浸透によりファン増加・長期的に売上の増加を見込むような施策
例)競馬ブーム、ラッタッタ的なCM、競馬場での諸イベント

現代の国際社会において、武力や経済力にまかせて己の主張を押し通すことは歓迎されることではありません。ウクライナへの軍事進攻を押し通したロシアに国際社会の大半が反発したのは記憶に新しいでしょう。
同様に、公営競技も射幸心を単に煽るのみで馬券収入に注力すれば当然国民からの理解は得づらいのは自明ではないでしょうか。賭博行為とは本来刑法185条で禁止されている行為である訳で、いくら収益の一部が国庫に納付されると言えど、バッキバキに射幸心を煽ってギャン中を量産することは国家運営の観点でも容認しがたいことなのは間違いありません。

加えて「競馬」という競技自体の風当たりも世界的には決して良くありません。海外に目を向けると、ここ1,2年でシンガポール、マカオといった国々が競馬を廃止しています。アメリカでもかの有名なアーリントンパーク競馬場をはじめ多くの歴史ある競馬場が閉鎖しつつあります。
これらの背景には収益の低下や再開発などがあると言われています。確かに都市型の競馬場であれば、特にその莫大な面積は様々な使途があることは想像に難くないです。実際日本でも、戦前の地方競馬では最大級の規模であった羽田競馬なんかも軍事施設として利用されたのち、現在の羽田空港の一部となっています。
冷静に考えると、確かに「公営競技としての競馬」ってとてもコスパの悪いモノなんですよね。(莫大な雇用と畜産業への貢献があるとはいえ)ヒトなんかよりも遥に金のかかるサラブレッドを、だだっ広い場所で走らせる… 博打の駒として考えた際、「競馬」競技の乱数生成器(駒)としての性能はハッキリ言ってゴミを通り越して有害であるとすら言えるでしょう。なんせ今やパソコン一つで乱数生成ができる時代なのですから(だからこそ還元率の高いオンラインカジノが流行る訳ですが…)。

であれば競馬に求められるのは「その存在意義に疑問が投げかけられない程に人々に支持されること」であり、その為にはソフトパワー概念的な「力」が必要なのです。

地方競馬と中央競馬

ここまで話しておいてアレですが、第一次競馬ブーム、第二次競馬ブームを経て「中央競馬」という競技のソフトパワーは公営競技の中では頭抜けています。
”戦後のスポーツ名場面50選”なんて番組があったとしましょう。
戸田の44号機がどんなやべぇマクリを決めようと、新田祐大がオルフェーヴル(動詞)しようと、多分公営競技からは武豊とオグリキャップ以外選ばれません。
尺の10%くらいは反社会的勢力である讀賣巨人軍に費やす癖にね

読者の皆様の心の中でも、なんとなく中央競馬は市民権を得ていても、競輪やオート、競艇なんかは治安の悪いイメージや某A級戦犯のイメージが強い…と感じる瞬間はあるのではないでしょうか。
地方競馬も同様で、「地方競馬場といえば歯の抜けたオッサン」「競馬界の最底辺」という偏見を持たれがちなのは競馬ファンですら否定しがたい所ではないでしょうか。

ですが実情はどうでしょう?
中央ほどの規模はないとはいえ、地方競馬の収益は年間約1兆円。その辺のパート1国よりも経済的にも設備的にもはるかに充実しており、日本の馬事文化を支えています。
競技レベルに関しても、中央競馬と芝・ダート路線の分業化を行った影響か、トップ層は国際G Ⅰでも通用するレベルにあります。
歯の抜けたオッサンは…まぁ地方の中では小綺麗な方である大井競馬場でもちょこちょこ見かけますが… とはいえ地方競馬の治安面は随分改善しているでしょう。交流重賞の際は若いカップルの姿なんかも見られます。

しかしながら、インターネット投票などを経て「地方競馬冬の時代」は過ぎ去ったのが実態にも拘らず、こうした「冬の時代」のイメージを未だ地方競馬は引きずっています。

こうした中央・地方競馬のイメージの差というのは、ウマ娘から入った新規の競馬ファンを見ても強く感じます(あくまで個人の主観ですが…)。実際今回話題になった「ウマ娘が地方競馬に貢献してる(?)問題」もそうしたイメージの差から生まれるファン間の軋轢の結果でしょう。

ウマ娘界隈でも「三流トレーナーは地方からやり直して来れば~♡」というイラストが色々燃えたこともありましたね。

結局、今の地方競馬が求めているのはこういったイメージの改善(≒ソフトパワーの強化)かなぁと思います。

終わりに

直接的な馬券の売り上げにはあまり寄与せずとも、ウマ娘とコラボしてたくさんの人を集める、インターネットで大きく話題になる…という事を通じて、各競馬場はイメージを改善したり、地域に存在価値をアピールしているのではないでしょうか。もしかして笠松やら金沢やらウマ娘とコラボする競馬場に香ばしい所が多いのってそういう…

とはいえ折角競馬場に来ているのです。ウマ娘グッズや現地のグルメだけでなく、目の前で行われているアツい勝負に身を投じてみても良いのではないでしょうか。
別に反社にその金が行く訳でもあるまいし(多分…)、賭けた金はあなたが勝とうと負けようと、地方公共自治体の財政を潤したり、時には競馬の開催費用として巡り巡ってあなたの推しウマ娘のモチーフの競走馬のふるさとに還元される訳で、これも広義の「推し活」と言えるかもしれません。

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