貴族の爵位

貴族の爵位で「侯爵」とか「伯爵」とかを聞くことがあるかと思いますが、この違いってご存知ですか?

いろんな作品を見ていると、やれ伯爵だの男爵だのといろんな貴族様が登場してきて、どの人がどうエライのか訳がわからなくなりますよね。(...なりますよね?)

そんな貴族の「爵位」について独自解釈を交えながら解説してみました(諸説あるので、ご意見・ご指摘は承ります。

訳語は英語ですが、イギリス一択ではなくなんとなくヨーロッパ圏っぽい話だと思っていただければ結構です)

平安貴族とかはコレまた全然ワケが違います

爵位や階級などをまとめると、だいたい以下のような感じになります



王(King)
一国家・一民族・一部族などの最高支配者で、君主・国王・帝王(帝王の場合はEmperor)などを指す

大公(Archduke、Grand Princeほか)
王の下で公や公爵よりも上の地位の称号。大公国を統治する。公よりも強い力を持っているので上位の称号としてそのように名乗るようになった。英語ではニュアンスや歴史的背景の違いで使い分けており、「Prince」でも日本語で「大公」と訳す場合があることを考えると、日本語の訳し方の問題である。

公(Prince、Dukeほか)
地位は大公と変わらない。強いて言うなら大公より少しだけ権力が弱かったり領地が狭かったりする。例えば、モナコ公国の国家元首は日本の外務省では「公」と訳すことに決めているが、「大公」と訳される場合などもある

公爵(Prince、Dukeほか)
ローマ帝国の家柄や役職に由来する呼称。「公爵領」を統治するから「公爵」。英語では「Prince」と「Duke」があるが、Princeは王族の場合でDukeは諸侯の称号

侯爵(Marquess)
公爵と伯爵の間。侯爵領を統治するから侯爵

伯爵(Earl、Countほか)
伯爵領の統治者だから伯爵。英語で伯爵を意味するCountはCountryの語源

辺境伯(Margrave)
異民族との国境で独自の軍隊を持っている領地の統治者の称号

子爵(Viscount)
子爵領の統治者だから子爵ってだけ

男爵(Baron)
子爵より下位の爵位。元は王から直接土地を与えられる人を「Baron」と言い、力を持ったBaronが貴族になっていった

士爵(Knight)
個人の功績や国家の功労者に贈られる称号。貴族ではないし、世襲もできなければ領地もない。よく「ナイト」の称号っていわれているのはコレのこと



さて、そもそも「爵」ってなんやねん、という話になりますが、爵というのはこういう形(↓)をした古代中国の祭礼用のさかずきで、人物の徳や身分を指す概念として用いるようになったことが起源といわれています

「夏」という超大昔の中国の王朝時代に階級を付けるようになり、それぞれを「公・侯・伯・子・男」と呼ぶようになったそうな

ちなみに昔の中国では爵位とは別に「公・卿・大夫・士」で分けた「禄位」という階級制度が使われていたらしいので、しっちゃかめっちゃかですね

今でも高貴な人物を「~公」とか「ベーダー卿」とか言ったりするのはその名残です。

さて、日本における爵位の呼び方ですが、結論からいうと中国からの丸パクリです。明治時代に爵位を決める際に、エライ人から順番に中国の制度を丸パクリして順番にあてはめていきました。

なので、日本では「男爵」というのはどういう人で、「公爵」というのはこういう人、とかではなく、上から順番に〇〇さんは男爵で△△さんは子爵ね、みたいな感じです(いちおう選定基準みたいなものはありますが、矛盾があったりするので実際はよくわからない)

中国は、というと古代では爵位=役割で、土地ごとに決められた爵位が与えられていて、土地そのものの持つ価値で序列が決まっていました。

始皇帝以降は爵位=序列で、家柄や功労者への恩賞として順位を付けるために与えられる称号になっていったそうな。

西洋では「爵位=役割」というより、土地自体が爵位を持っているので公爵領を収める人が公爵、みたいな感じになります。

そんなにいうほど序列にはこだわっていないし、兼務したりするパターンも死ぬほどありました。

ちなみにそういう経緯なので西洋の爵位であるデュークだのバロンだのを日本語で伯爵だの男爵だのというのはテキトーで、これは明治時代に西洋貴族の位階を和約したときに無理矢理中国の爵位をあてはめたのでゴチャゴチャになったというわけです

最後に「王(King)」と「皇帝(Emperor)」の違いを少しだけ説明すると、王は血族の長として1つの部族や民族、一定の領土である「国」を統治する君主を示すのに対し、皇帝は複数の地域や国、民族の王を配下につけて広大な領域を統治する君主を示します。

現代の世界のどこにも皇帝がいないのはそういう理由なんですね。

王というのは通常、血縁的な正当性が必要になる場合が多いのですが、皇帝は血縁に関係なく実力者がその地位に就くことがほとんどです。

キングダムの始皇帝を例にとると、1つの国家「秦」を治めている時は世襲制の王ですが、周辺にある複数の国を武力で制覇して統治したことで皇帝を名乗ったんですね。

ちなみに、かの有名なアレクサンドロス大王は複数民族を支配し、世界をまたにかける広大な領地を治めていたにも関わらずなぜ「皇帝」と呼ばれていないのか...、というとそれは、彼の活躍した時期が「皇帝」という呼称ができるよりもずっと前の時代だったからなんですね。

さて現在ではEmperorと呼ばれるのは世界でただ一人、日本の天皇のみです。

立場的には「王」に近いはずの天皇が、なぜKingではなくEmperorと呼ばれるのでしょうか。それは江戸時代に日本に来たドイツ人医師のケンペルが帰国後に発行した「日本誌」による影響と考えられています。

著書の中でケンペルは「日本には2人のEmperorがおり、一人は世襲的に国を統治する将軍で、もう一人は神格化された存在である天皇である」と記載していたそうです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?