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アメリカのリテールで、何故トップセールスに成れたのか

アメリカ人と結婚して、アメリカで働けるビザを手に入れた後、最初に働き始めたのは、日本の会社だった。英語に自信がなく、日本人の夫婦が経営するお茶の販売会社で事務として働き始めた。しかし、給料も安く、有給も少なく、フルタイムのウエイトレスとしてチップで稼いでていた時よりも収入が少ない。一緒に働いていた子が、そこを辞め、カリフォルニア一大きなモール、サウスコーストプラザで働き始めた。そして、たくさんの店が、募集の張り紙はしていないけど、日本人のセールスを募集していると聞き、思い切って、セールスの仕事を探すことにした。

高校を卒業して、ほんの少しの間だけ、英語教材を売ったことは有るが、日本でさえ店員として働いたことなど無かった。でも、人と話すことは好きだし、アメリカに来てからはウエイトレスとして働き、結構優秀で、良いチップをもらっていた。まあなんとかなるだろう。パリ、イタリアなど海外の高級ブティックが集まる場所に行き、とりあえず店に入り、「仕事を探しているんだけど」と店員に言った。大概、マネージャーか、アシスタントマネージャーを呼んでくれた。そして、運良く数店当たっただけで、たまたま日本人を探していたクリスチャンデイオールで雇ってもらえ、高級ブティックなど、日本でも、アメリカでも、店に入ったことすらない私が、いきなりセールスとして働き始めることに成った。そして、二年後には、この店のトップセールスに成っただけでなく、一年の売上がミリオンを超え、全米でも第5番目の売上で表彰された。その後、ハワイに引っ越して、ワイコロアのティファアニーで働き始めた数年後には、やはり優秀セールスとして、ニューヨークで表彰された。

35歳でアメリカに来て、なんとかアメリカの短大は卒業したけど、会話は全くの苦手。語彙力もないし、複雑な会話など全く出来ない。サウスコーストプラザは、日本人観光客はまあまあ来るけど、時期によるし、一番のお得意様は、何と言ってもアジア系の地元民だ。3ヶ月は見習い期間。あまり売上げが上がらなければ、もちろん首になる。ただ運がいいことに、この店では、全く英語が出来なかった中国人の女の子を雇い、中国人に売ることで、彼女はこの店のトップセールスに成っていた。だから英語が出来なくても日本人客には売れるので、長い目で見てもらわれ、とりあえず文句は言われなかった。

働き始めてすぐ、夏の日本人観光客が来始めたのは運が良かった。そして、運が良かったのか、悪かったのか、働き始めた年に911のテロが起こった。「次は大きなモールが攻撃される」と噂され、モールには、人っ子一人歩いていない状態が、数週間続いた。店の一番のお得意様だった中東の女性達は、全く影を潜めた。見習い期間の3ヶ月が過ぎたが、お客自体が来ないのだから、私自身の評価が下されることはなかった。

そして、ようやくお客がちらほら戻り始めた時、ラッキーにも、そんなご時世に、アジア系の女性が、店で一番高い毛皮のショールを買ってくれた。テロが起こって以来初めて、このショール一点で、店は、元々の一日の売上目標に到達できた。本社のニューヨークのボスから電話で褒められ、とりあえず、解雇される心配はなく成った。

アメリカのリテールのセールスは、コミッションで稼ぐしかない。経験など無い私など、時給はほぼ最低金額だ。ではどうしたら売れるのか?

セールスは顧客情報、いわゆる「ブック」が宝だ。いかに厚い顧客ブックを持っているかで、収入が決まる。セールスの能力はこのブックの暑さで評価される。時給とコミッションの率がより良い高級ブティックに、このブックを持って移っていく。セールスの出世とは、働く店の高級度が上がることだ。

私は先ず、自分の名刺を渡すことと、このブックの枚数を増やすことに努力した。何らかの商品に興味を持ってもらったら、それを名刺の裏に書き込んで必ず渡し、セールに成ったら電話すると言って、名前と電話番号を書いてもらった。そして、商品を買い上げたお客には必ず、名前、電話番号と共に住所も書き込んでもらい、サンキューカードを送った。ディオアは、シーズンが終わると、全てではないが、セールで商品が半額になる。セールになったら、このブックのお客全てに必ず電話した。

コミッションで収入が変わるということは、当然、セールス同士、足の引張りあい、お客の取り合い、といった浅ましいいざこざが起こる。来たお客が自分の名前を言ってくれなければ、自分のお客にはならない。どんなにそのお客に時間を掛けていても、買う時、他の人から買われたら、おしまいだ。セールの始まりが分かったらこのブックを見て、片っ端から電話を掛けた。新商品が店に入ったら、興味がありそうな客に電話を掛けた。お客が、「私はディオアの上客で、セール時期や、新商品の情報が入ったら、真っ先に電話をしてくれる」と思ってもらえるように努力した。たとえ自分では何も買わなく(買えなく)ても、金持ちの知人に「私のセールスを紹介してあげるわ」と言い、お客として連れて来てくれるように成った。ただし、どのお客も、私の名前を言ってくれ来店してくれた人は、その人の売上高では無く、全ての人を同じように、特別に扱った。店にお客が溢れていても、そうしたお客には目もくれず、その時買う買わないに関わらず、おしゃべりをして時間を掛けた。そんな私の態度を見て、自分もそういう扱いを受けたいと、私のお客に変わった人もかなり居る。

暇な時は、入店するお客はセールスが順番に当たるように成っていた。だから、自分が相手をするお客は、一人ひとりがとても重要だ。私は、相手をする人に、見た目や年齢に関係なく、丁寧に時間を掛け、たとえ安い商品でも、最高級商品を勧めるように対応した。だから、若い人に、「バカにせずに扱ってくれたから、あなたから初めてのディオールを買いたかった」と喜ばれた。

もちろん、ほとんどの客が、「見てるだけ」と言ったお客。そういうお客をどう自分に惹きつけるかが、先ず最初のセールのポイントだ。そのお客のつけているアクセサリー、洋服、カバンを見て、「こういうのが有るんですよ」と言って、好きそうな商品を見せる。「You know me! (あら、私のこと分かるのね)。」と喜ばれ、「実は、こんな物探しているの」と会話が始まった。そして、気分良く私の名刺を受け取り、名前と電話番号を書いてくれ、「次回はあなたを呼ぶわね」と言われた。

様々な商品をすぐに勧めることが出来るように、毎日店に入ったら、在庫を必ずチェックした。セールは、お客が「買う」という決断をした時が勝負だ。当然お客は誰も触っていない新品を買いたいと思うし、欲しい色、サイズが無かったら、「又今度」で、それきりになることが多い。だから、新品の在庫が有るか、どの色、サイズが有るか、必ずチェックした。

デイオアでは、英語もまともに出来ない私が、カリフォルニア一大きなこのモールの持ち主の奥様の担当に成った。夫人が入ってきた時、皆な怖気づいたというか、チェックしているだけで、ここで今買うなどと思っていなかったせいか、皆挨拶しただけで動かなかった。誰も相手をしないようだったので、私が相手をすることにした。イブニングガウンを探していると言われ、さっと、明るいオレンジの新作のガウンを手にし、「きれいな色でしょ。私が一番好きなガウンなんです」と、試着するように強く勧めた。そして、本当にその色が似合ったので、「I know this color is good for you! (この色、絶対に似合うと思ったんです)」と心から賛美した。いつも地味目な色のドレスしか着ないそうで、自分では絶対に選ばない色だと言われた。でも、本当に白い肌に良く合い、若々しく見えたので、結局お買い上げいただいた。そして、パーティでこのドレスで大きな称賛を浴びたそうで、それ以後私が夫人を担当することに成った。

私は、エスキモーに氷を売れるようなセールスではないが、お客様が「買った事を喜び、幸せに思ってもらえるように」をモットーに、本当にその人にとってベストな商品を売ることをいつも心がけた。「買わないほうがいいと言ったセールスの人は初めてよ」とよく言われた。だって、故障が多いなど、その商品自体に自信がなかったり、その人に適正だと思えない物を勧めることは出来ないから。でもそうした私の正直な態度が、結局はトップセールスにしたのだと思う。「会社に損をさせないのはもちろんだが、自分のお客が最大限のサービスを受けられるように会社に掛け合い最善を尽くす。」それが、セールスの仕事のもう半分の仕事、お客様係として心がけたモットーだ。

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