免許更新は大冒険


バンドマンの暮らしや感覚と世間のそれの違いを心底後ろめたく感じる瞬間が俺には3年に一度やってくる。免許更新だ。まず朝が早い。普段は夜遅くに寝て、起きるのは大体11時。しかしこの日は8時に起きる。早く寝ようと思ってもなかなか寝られず寝不足の体をシャワーで叩き起こす。9時15分八王子発の電車に乗り府中の試験場に向かう。出勤ラッシュの時間帯は過ぎているので電車の中は空いていてここまでは実に居心地がいい。武蔵小金井駅で降りてバスに乗る。ここから俺の試練は始まる。3年に一度のバス。どの入り口から入り一体何処にパスモをタッチするのか。まず入り口はバスの前方と中腹の二択。迷っている様子を見せてたまるかとパンクハートを携えた俺は中腹を選んだ。ミスった。前方だったようだ。俺はバス待ちの列の先頭に並んでいたため(既にこれがミス)無視して抜かしていいのかと後ろの人を迷わせてしまった。そして急いで前方の入り口に向かって、次はパスモを当てるところを探す。が、見つからない!ああ、何だ、そうかこのバスは一律で降りる時だけの”ピッ”で済むやつか。そう思いそそくさと席に向かう。「お客さんタッチして〜」引き止められた。2度目のミス。ピキッ。戻ると普通に”ピッ”てする機械があった。不安で視野が深海魚おじさんだ。

 そんなこんなで試験場に無事に到着して手続きを進める。過去に侵入禁止で減点されてしまい違反者講習を受ける予定の俺に「こいつ見た目通りだな」と言う職員の目線が刺さる。気がする。が、甲本ヒロトや忌野清志郎も免許更新を若い頃してきたはずだ、なんて想像してここで負けるかと唇を噛み締め何とか持ち堪えた。
 
 講習開始までの待ち時間、俺の前の椅子には女の子が座っていた。覗き見する趣味など毛頭ないのだがたまたまその子の携帯の音楽の再生画面が目に入った。ごりっごりに同じレーベルのお世話になっている先輩の名前がそこにあった。俺達のバンドのことも知っているのかは分からないが違反者講習だと言うことがその子にバレてしまったら恥ずかしいと思い、いつもより背中を丸めて携帯を触って時間を潰した。

 生徒47人の講習が始まった。独特な訛りのあるおばちゃんが講師だった。しかも結構質問してくるタイプ。この人が今日のラスボス、俺はそう悟った。「この標識覚えてますか?」開始15分早速俺に質問が来た。赤い髪のやつなんか標的に決まっている。正直覚えていないが「はい」と答える。「今この方に聞いたのは、この方免許取って最初の講習でしょうからね。覚えてて当然だろうと思ってね。」俺はもう27歳で免許取ってから約10年だ。おばちゃんは髪の赤い俺をyoutuberになりたい大学生とでも思ったのだろうか。見た目で決めつけるのは良くないよ。それにさっきの女の子に笑われるじゃないか。とは言えそりゃそう思うよねと諦め、ピカピカの一年生役でやり通すことにした。

 講習が三分の二を過ぎた頃、後方の男性から「寒いです」とおばちゃん講師に訴えが入る。おばちゃん講師は少し嫌そうだった。立って2時間も講義しているのだから暑くて当たり前だ。「耐えられないくらい寒い?」とおばちゃん講師、「はい、鳥肌立つくらいには」と男性。すると後方の女性からも寒いですと言う声が上がった。おばちゃんはまだ諦めない。窓際の日が当たっている席の人に「寒い?」と聞いた。窓際の人もコクンと頷いた。流石にこれにはおばちゃん講師も折れてクーラーを弱くした。クーラーが苦手な俺には凄くありがたい訴えだった。たったそれだけの事なのに今まで疎外感を感じていた俺はここにも味方がいる気がして少しだけ安心した。

 13時くらいに講習が終わり帰り道のバスはノーミス。朝の最初の試練のおかげだ。クタクタになって八王子駅改札から出た時は頭の中でエアロスミスのI Don't Want To Miss A Thingが流れスローモーションになった気がした。ああ俺は無事に帰還したのだ。ヒビの入ったパンクハートと唇を噛み締めた顔写真の新しい免許証を持って。