カルチャーショック


なんとかなる。そう俺に教えて背中を押してくれる人は東京で暮らすまではいなかった気がする。そして同時に、なんとかならない事を体感する重要さも養えなかった気がする。なんとかなると無計画で胸を張ってそもそも飛び込むことが無いせいで何も出来なかった後悔も生まれかったようだ。

 田舎町の良い所でもあり悪い所でもある独特な閉鎖感は、閉鎖的でありながら独りで生き抜いて行く力は意外と身に付かないんじゃないか。俺はそんな風に思えた。なぜかと言うと、クタクタになった制服を着た30代と思われるアルバイターが都会にはざらにいたからだ。あの大学に行けば安定だとか、就職して安定しないと、とかそんな言葉は俺にとってはただの盲信となった。ああ、なんとかなるんだな。人一人が生きて行くだけならアルバイトでやっていけるんだ。俺もあと10年くらいは保証も無く肩書きがアルバイトでもそんなの大した事じゃあないな。20歳くらいの俺にその人の存在はかなり心強かった。それからは怖い物が減った気がする。家賃3万円の激安物件を難なく選べ、本当に金が無い時は実家から送ってもらえる米と3パック80円の納豆さえあれば餓死することは無い。バイト先に優しい先輩がいて、出勤じゃないのに賄いだけ食べさせてもらったこともあった。ライブハウスの恐い人や先輩に殴られたとしてもそのうち治るならいいか、とすら思えた(殴られたことは無い)。 ”君の自由を後押しするよ”ってな調子の自己啓発ですか?と思われるのは癪なので予め言っておくが俺は偉そうなことを人に教えられる奴じゃあない。それが出来たらとっくに出家して街を原付で移動するお坊さんになっている。単純に俺がそう思っただけ。夜の街の黒服の大群や5分に一回やって来る電車も大変びっくらこいたが都会へ来て一番の衝撃はそれらよりもクタクタな制服姿の30代アルバイターの存在だ。バンドやろう。そう踏み切った。それと共に年金を見事に踏み倒す事にもなったが、まあ、なんとかなるだろう。