兄貴


Air Podsを買ってからどのくらい経っただろうか。夏休みで暇だからか俺が毎日閉じこもる喫茶店には10代の甲高い声たちと食器の音が戦争をしている。本来の用途である音楽を聴くと言うことにあまり使われなくなった俺のAir Podsは雑音を掻き消してくれるだけの超高級耳栓と化した。
 兄貴から飯に誘われた。兄貴は東京で小学校の先生をやっている。夏休みの間は先生たちも暇が取れるようだ。時々こうやって兄弟で飲んだり食ったりするのだが兄貴の話を聞くのは楽しい。言うことを聞かない元気な生徒たち、テレビドラマに出て来そうなくらいのモンスターペアレント、知らない世界を知れる。そして何より家族が頑張っていると言う事実があるだけで元気が出る。兄貴も俺の話を楽しそうに聞いてくれる。俺がフェスに出るようになってからは特に日本のロックバンドにハマったらしい。

子供の頃の兄貴はビートルズをひたすらに聴いていてプレゼンを受けたりもしたが幼い頃の俺には良さなど微塵も分からなかった。兄弟で野球をやっていて、上手かった兄貴は中学は下宿、高校は寮に入り家からはかなり遠い学校に行った。元々会話が多い方では無かった俺たち兄弟はそのチャンスすら無くなった。寂しいと思わなかった。兄貴は小さい頃から努力を楽しめる人だったし誠実で俺とは選ぶ物がそもそも違ったからだ。話は飛ぶが俺が18になった頃東京の日野で兄貴と二人暮らしを始めることになった。兄貴は大学にしっかり通うが掃除や料理は苦手、俺は専門学校をサボるが家事はしっかりやる。と言う正反対故に均衡の保たれた二人暮らしだった。机の上に散らばったレシートや書類を俺の掃除が行き過ぎる余り、兄貴の帰省するための夜行バスのチケットを捨ててしまったり、ライブハウスで酒を飲み朝帰りして玄関の外で寝てしまった俺を起こしてくれたり、持ちつ持たれつ色々と楽しかった。
 兄貴はいつしかライブに来てくれるようになり友達を連れて来てくれたりもした。ノルマに奮闘する下積みのバンドには凄くありがたかった。今ではフェスに来てくれたり大事なライブに来てくれたりしてあの時のチケット代を教師としてバリバリ働く中の楽しみや息抜きとして返せているような気がする。
 糞が付くほど田舎町で育ったにも関わらず弟が何千人の前で歌う姿を見てきっと自慢だと思う。だけれど思い出すと、ライブ行くよと言ってくれたり、俺の仲の良いバンドを聴いてくれたり、飯に誘ってくれたりいつも近付いて来てくれるのは兄貴からだ。兄弟ですら自分から近付こうとしなかった俺に兄貴はずーっと兄貴をやってくれていた。相変わらず受け身な弟だがこれでいいのだと思う。これから飯の日を決めて連絡を返そう。俺の自慢の兄貴に。結婚おめでとう。