便利な言葉

最近、便利な言葉をよく聞きます。

「人それぞれだから。」
「価値観が違うから。」

この言葉、便利ですよね。
これさえ言っておけば、何とかなる感じがします。

「そういうのって、難しいですよね〜。」
「大丈夫です。」

曖昧なニュアンスですが、それ以上は思考を進めさせないという覚悟が見え隠れします。
便利な言葉、本当に便利なのでしょうか?
この便利な言葉は、本当に大事な何かを見えなくしているんじゃないでしょうか?
僕は、そう思います。

人それぞれとか、価値観が違うとか、言っておけば、お互いにそれ以上踏み込まないでしょう。
ということは、それ以上は近づくことができないということ。
ということは、それ以上は関係性が深まらないってこと。
物理的にも、心理的にも。
僕は、そう考えます。
ジェネレーションギャップとか、年代が違うとか、言ってさえおけば、溝があってもないように感じるのかもしれません。
ただ、それ以上は分かり合えないような気がします。
もしかしたら、本当に分かり合えないのかもしれません。
でも、その言葉を使うことで、そうすることもなく、そうだと決め付けているような気がします。
その言葉を使うことで、やってもないのに、やったことにして、逃げているような気がするんです。
年代が違っても、価値観が違っても、人間なんですよ。
どこまで行っても分かり合えないこともあるんでしょうけれども、その結果にたどり着く前に分かることができることもあるはずです。
その権利と義務を拒否しているような気がするんです。
とことんやってみないと、最後の最後までやり切らないと、見えないことも聞こえないことも感じないこともあるんです。
僕は、そう思います。

こんなことを言っていると、また便利な言葉を投げつけられます。

「めんどくさい。」

僕、よく言われます。
だから、仕事を任せられないとも言われました。
正直、傷付きました。
そして、傷付いています。
でも、便利な言葉は拒否します。
僕は、便利な言葉を拒否します。
ほかの言葉で言い換えられるくらい突き詰めたいし、人付き合いも表面上だけの浅いものにしたくはありません。
だから、疲れるんですよね。
だから、悩むんですよ。
あれっ、これも便利な言葉かな。
僕、逃げちゃったのかな。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?