我ら自己完結できないがゆえに
いわゆるロビンソンクルーソー経済、理想的(?)自給自足なら誰と話さなくても生きてゆけるのでしょう。ですがそんなものはなく、コンビニでものを買うにも最低限のコミュニケーション能力があったほうがうまくいく社会に私たちは住んでいるわけですね。コンビニで消費者やるよりも相互行為を必要とされる局面ばかりの社会です。私は誰とも話したくないんだ、話しかけないでくれ、と言って生きていられればいいですが、誰かの世話になるにしてもコミュニケーションが要求されます。なにかしてほしい、と頼むのは、自分の意志を表明することですね。その相手が親なら意思表明が弱くても汲んでくれるかもしれませんが、相手がお役所なら、正当な手続きを踏まなければいけない。その手続きを理解するために職員と話をしなければならないかもしれませんし、自分ひとりだけでは無理なら、誰かに頼まなくてはいけないでしょうね。自己完結は、下手をすると、死を意味しかねない。
専門的な知識を身につければ、コミュニケーション能力が必要ないのか、というと、そんなこともないわけです。士業の必須スキルは営業的なものです。飛び込み営業もルート営業もないかもしれませんが、仕事をとってきて、なおかつお客を離さない能力は必要不可欠でしょう。一般的に、専門的な知識は他の専門的な知識の中に埋め込まれて、複雑なシステムとして機能して役立つので、たぶんルーティンより人とやりとりしないとダメです。私が基礎知識を重要だとみなしているのは、生きていく上で否応なく複雑なシステムのなかにぶっこまれるのが現代人だからです。理想的な言語は存在しなくてもそのシステムは崩壊しませんが、最小限の基礎知識がないとシステムから放逐されかねません。そして、静的な知識があればいいわけでもなく、それを使って他人に働きかけることが次に要求されるでしょう。自分の欲するものを叶えてもらうためにも、他人の要求することに応えるためにも必要です。この連鎖のなかで、自分の番が回ってきたときに破綻を来さないために基礎知識もそれを動かすコミュニケーションもあると言っていいと思います。
コミュニケーションが要求される局面をできるだけ避けようと必死になっている人がいますが、基礎的な知識を持ち合わせた状態なら後は場数を踏むだけです。意思疎通は技能よりもメッセージをなんとか伝えようとする意志力に左右される部分があります。うまくことばが伝えられないだけで何もやり取りができない世界であったなら、翻訳マニュアルがないときにどのように外国人とコミュニケーションとったのかという話になりますからね。
対人能力を向上させるよりも、意思疎通から逃れるほうがよほど難しいし、莫大なコストを支払うことになりかねないので、トレーニングする方向に切り替えたほうが圧倒的にコスパ良いと思いますよ。よほどの理由でもなければ、コミュ障を続けることは、ただひたすらにしんどいだけだと思います。
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