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多分普通の人は他責思考やめたほうがいいわけ

たまに自分の不遇はすべて他人のせいか、世の中のせい、みたいなことを言っている人を見かけますが(本稿ではそうした意見を他責思考といいます)、ファッションでも真似しないほうがいいです。

まず、サービスにお金を払う人(経営者含む)は他責思考の人を評価しません。むしろ、うんこかなにかと同じような扱いをすることでしょう。ちゃんと自分で責任をとって働く人でないと安心して仕事を任せられないからです。

え? もらっている仕事の割に過剰な責任を負わせようとするって?

そんな仕事は断りましょう。従業員なら中長期で割が合わないと思うならやめましょう。しかし、単に辞めるだけもバカバカしいので、材料を集めて報酬をふっかけて交渉が決裂してからでよいでしょう。世の中では「経営者目線をもて」と言われることがあり、世の社畜さんが、被用者に経営者目線なんておかしいだろ、プンスカ、としていることもありますが、逆です。経営者目線を持っているなら、商品(労働力)を安売りしないはずです。商品(労働力)を高く売るための方法を考えないのは、どちらかというと、奴隷根性です。

脱線しました。話を戻しましょう。仕事などのパートナーの頭がおかしくないということを前提にしますが、このとき、起こっている物事を自分の責任で対処するという姿勢をおすすめします。

この姿勢は問題解決に対して、当人の思考リソースを要求するところが良いのです。つまり、主体的に考えるということです。主体的に考えるというのは、問題解決に必要な情報、コネといったリソースを総動員し、推論して解決策を導き出すということです。

情報やコネクションといった資産はあえて使おうとしなければ活性化しません。異業種交流の名刺交換があまり意味を持たないのは、そもそも使えないコネクションか、積極的に使おうとしないかのどちらかです。こういうリソースは使い倒すほど味が出ます。もちろん、ケアは忘れずに。下品な使い方をすると、特にコネクションは劣化します。

そして、自力で問題解決法のステップを考え抜く、推論するというのは、内外のリソースを何らかの目的のために総動員して組織することで、結果として知識やノウハウを生み出す点と、成功体験を生み出す点が素晴らしい。仮に失敗してしまったとしても、次に成功するための有用な知見が得られます。

世の中には自分の思いどおりにならないことがたくさんあることも事実ですし、もしかすると、どうしようもない事態になっている人もいるかもしれません。後者には、他責思考するな、と言うのは酷かもしれません。その一方で、自分がうまくできないことに直面したときに、自力でなんとかできることをなんとかせずに諦めて目を背け、どうしようもない部分に注目し、問題解決の機会を放棄してじめじめして気持ち悪い他責思考に安寧を求める人がいます。

他責思考は、その人のリソースを活性化させる機会、知識やノウハウを生み出す機会、成功体験を奪います。これは普通の人をやや無能に、やや無能を無能に、無能をどうしようもない無能に格下げしていく麻薬みたいなものです。

少しでも自分に変えられるものがあると思えるなら、他責思考は採用すべきではありません。そしてもしも自分には何もできないという結論に至ってしまうのなら、精神科や行政にお世話になりましょう。


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