だいたいなんでもどうでもいい

自分自身のキャパシティを完全に超えているのに、感覚だけが鋭敏になって、世の中の話題を拾ってしまうことがある。感度だけは高いが、他の能力はついてこない状態だ。〇〇は許せない、とか、✕✕が許せないのが許せない、といった具合に不必要に感情的だが、だからといってどうしようもない考えだ。私自身もそういう勢いに支配されそうになるときがある。

でも、よく考えると、感情にまかせたからといってなにか解決できるわけでは全然ないのだ。というよりも、意見くらいは持てたとしても、私自身がこれといって何ができるわけでもない物事がいっぱいある。こうした物事と仕事はまるで違う。仕事はどうにかできること(どうにかしないといけないことでもあるんだけど)で埋め尽くされている。TODOを書き出しては消して、というだけでも事態は進展する。それに比べて、野次馬にしかなれない問題というのはどうだろう。いくら時間をかけても成果が出ない。

こんな当たり前のことから、直近二年くらいで私が学んだことは、だいたいなんでもどうでもいい、ということだ。これは一見ニヒリズムぽくも聞こえるが、自分ができることはあるし、そこに資源を集約したいと言っているわけだから、逆だと思う。むしろ、どうにもならないことに割いたエネルギーってなんなんだろう。何かに結実するものかな。自分が取り扱えるサイズにまで分解できて、自分が介入できること以外はどうでもいいことなのだ。無力感に苛まれたくなければ、どうにかできる自分になるしかない。そして、大概、どうにかなることは目に入る問題のほんの一部だ。だから、だいたいなんでもどうでもいい。ほんの少しのリソースを集中できるものがあれば、それで十分だ。

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