第9回きみトリ編集会議をしました

執筆・編集メンバーのライチです。

9月の編集会議を行いました。

今回久々にメンバー全員がリアルで会えた会議となりました。会えるっていいね。生きてるって実感できるね。それが本という実体を生み出すことにつながる。

そんな感動が、動画で伝わるでしょうか。


会議で話題に出たのは近況、そして

表現することと、
受け手からの反応を受け取る(あるいは受け取らない)ことについて。

現在エチュードとして個々が自由に書いたものををnoteで公開することによって、スキやいいねやコメントをいただいています。ありがとうございます!

それに派生して、SNSでのコミュニケーションについて私が話したのが・・・・

誤読炎上やそもそもろくに読んでなくてコメントするという利用の人もいる中で、特に私が気になるのが「おはようおじさん(投稿の文脈を無視して、たくさんの知人コメント欄にコピペで挨拶を残していく人を表した呼称)」の存在でした。会議に居たメンバー全員がその言葉を知らなくて、一瞬騒然となりました。そうか、私の中では既知の現象、でもみんなには意識外のことであったか。ラベリングの効用と危険の両方を感じました。

しかし話してみたことで、そのようなコミュニケーションスタイルに哀しみや怒りを感じる私のニーズは、「理解」だとハッキリわかりました。
相手の言わんとするところに真摯に耳を傾ける。書かれたことであればひっかかったら即反応しないで再度よく読んで主旨を理解したうえで、対話を試みる。それが理想ですが、自分だってできているとは限らない。どちらかというと伝わらなそうなことには口をつぐんできました。

でも、本を書くというのは、取り戻せない距離にまで自分の主張を旅立たせるような作業です。私はそれを恐れてたんだと気づけました。気づいてそして、覚悟を決め直した感じ。

どんなに誠意をもって書いても誤解や反発が起こることもあるだろう。正しく本意を受け取ってもらった上での批判ももちろんあり得る。

それでも書くのか?自分。

それは即答で「書く」なのでした。

不思議と、即答なことでも、問いかけるまでは明確じゃないんですね。で、今回会議のおかげで明確になりました。覚悟を決めました。
複数人数で編集をして、応援団のみなさんにもサポートをしていただくので、かなり独りよがり度は低まることに救いがありますが、それでも、自分の書いたものへの反応は、私は引き受けよう。そう素朴に思えた会議でした。
こんな風に私たちは一歩一歩を踏み進んでおります。

引き続きお見守りください!

ちなみに…。
トークの中で触れている「マイヒストリーの会」とは、
一人の人間の人生を棚卸し、90分の時間の中で語り、聴く場です。
棚卸しをするプロセスと当日の参加者との応答の中で、発表者自身は学び、祝福されます。
そして、聴くこと応援することで参加者も学び、祝福されます。
参加者は語り手の話をそのままに、大切に聴ける人。
アドバイスなし、参加者が自分のエピソードを話すのもなしのルールで行うものです。

学びのシェア会presents
「きみがつくる きみがみつける 社会のトリセツ」出版プロジェクト

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