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県都物語-47都心空間の近代をあるく【読書感想】

 今回紹介する「県都物語-47都心空間の近代をあるく」ですが、通読していません。きちんと読んだのは奈良市の部分だけです。しかし、非常に興味深い内容だったので感想を書いてみたいと思います。

県都物語 | 有斐閣 (yuhikaku.co.jp)

1.「県都物語」について

 この「県都物語」では、都道府県庁所在地の都心の成り立ちを都市工学の観点から論じています。よく日本の街並みはどこも似たようなものだと言われることがあります。確かに、駅に降り立った瞬間に見えるビル群やバスターミナルは似ているかもしれません。

 しかし、それぞれの街が発展してきた歴史は異なります。例えば城下町や門前町、港町として誕生し、近現代に政治や経済の中心となった街もあるでしょう。街には、それぞれの物語がある訳です。このような視点から、本書では47都道府県庁所在地の都心について、その物語を解説しています。

 僕がしっかり目を通したのは奈良だけです。奈良の記述についても、その地に住んでいたからこそ合点がいくこともあり、しかも新しい発見がありました。この密度を47の街で実現しているのが素晴らしいと感じました。

2.奈良の玄関口について

 奈良の人は近鉄奈良駅のことを近奈良、JR奈良駅のことをJ奈良といいます。歴史があるのはJ奈良ですが、交通アクセスや観光地への近さから近奈良の方が奈良の主要な玄関口と考えられています。

 しかし、前から何となく思っていたのですが、近奈良は、すぐ近くに奈良公園があり、鹿も歩いていたりで、玄関口というにはいきなりな感じがします。他の町では、玄関口の駅の近くに広い公園があったり動物がいたりはしないような。

 一方で、J奈良には玄関口のような趣きを感じます。この違いは何なのか…。その疑問を解いてくれたのが、この「県都物語」です。

 それによると、三条通りは古くから奈良町のメインストリートであり、春日大社への参道でもありました。J奈良は三条通りに置かれた玄関口だったのです。

 一方、近奈良が接する大宮通り、そして大宮通りに面する県庁の辺りは、かつて興福寺の境内地でした。廃仏毀釈の中で境内地が公有地化され、県庁など官庁街が形成されるとともに、奈良公園が整備されたのです。

 後発の近奈良は大宮通りに設置され、その後大宮通りは拡張されました。だからJ奈良や三条通りは近世からの歴史があるのに対し、近奈良や大宮通りは近現代から出現した奈良の玄関口であり、いきなりな感じがするという訳です。

3.街の固有性を生かすことについて


 まちづくりについては、今までも数えきれないほど論じられてきました。本書で論じられているような、その街固有の成り立ち、街の動線がわかると、まちづくりを議論するときに役立つでしょう。逆に、街固有の動線に逆らう形でまちを整備してもうまくいかないことがあるのかもしれません。

 また、街とは重層的な存在であります。奈良でいえば、奈良時代から、中世、近世、近現代と積み重なってきて、今の奈良の街があります。奈良といえば平城京といわれていましたが、近世以降の奈良町の街並みが注目されるようになりました。街のさまざまな側面に注目できるようになると、新たな地域資源を発掘できるかもしれません。

 「県都物語」では、47の県都について論じているので、少なくとも一つは自分の故郷の近くの街が取り上げられているはず。街の成り立ちについて考えてみたい人におすすめです。

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