見出し画像

私の目覚めの物語⑤ 大学入試編

大学生編の前の話を書きます。

高校三年の夏から私は猛勉強を開始します。
それまでは成績は低空飛行でギリギリ進学していたような感じだったと思います。

夏からはバイトも減らし、遊びも減らし、一日6~8時間くらい勉強したと思います。予備校や塾にはほとんど通わず、受験用の教材を駆使して自分なりに計画を立てて頑張りました。

まず必須であった英語が全くの実力不足であったので、得意領域を作ることを決め、ターゲット1200を完璧に覚えることに挑戦しました。

100均で大量のめくり式の単語帳を購入し、単語を書き、即答出来たら別にし、覚えていない単語のみを抽出して、暇さえあれば暗記しました。

私の高校のロッカールームは大量の単語カードが入っていて、友達に驚かれていたのを覚えています。

そして数学受験を決めていたので、同時進行で数学も基礎からやり直し、現代日本語も頑張りました。

半年後、進路指導の先生も驚くほどの成長を遂げ、なんとか第二志望校に合格することが出来ました。

私の高校は勉強を頑張る子は関関同立を目指す高校であったので、私もその流れで関西学院大学と関西大学、甲南大学を受験しました。

全て社会学部を選択しました。
頭は理系だと思いますが、理系の学部への興味は無く、文系も興味はありませんでした。
本当にやりたい事がわからないし、行きたい大学も無かったのです。
しかし親や周りの先輩、友人も大学進学が当然であるといった環境であったので、勉強から逃げるもっともな理由も無く、この時は努力から逃げない道を選びました。
社会学部を選んだ理由は広く社会の事を学ぶ中で興味の湧く分野が見つかるかもしれないとの理由です。
情けない理由ですが、これが甘やかされ、眠らされた平成時代が生んだ若者の姿でした。
多大な犠牲を払い大学へ通わせてくれた両親には、自分が親になり学費の工面の大変さが理解出来るようになり、本当に感謝しかありません。

私が一点集中で受験勉強に取り組むことが出来たことは、きっと神の導きもあったと思います。
もしそれが無ければ、集中力を維持することは出来なかったと思います。
背後に神の計画もあったのでしょう。

なぜなら今の私へと繋がる色々な出来事が大学で起きることになるからです。

今もその途中にいますが、私はこの時はまだまだ自分の存在の理由も、神の偉大な計画も、日本の本当の姿もほとんど理解出来ていませんでした。

しかし当時の選択や志向の癖を思い返すと、今の私に繋がる片鱗があったように思います。

この20年、
色々な困難、試練、忍耐の時もありました。
多くの人のお世話になり、迷惑もかけてきました。
しかし神と共にあるなら、希望は失望に終わらないのが人生であると振り返ると思わされます。

私の名前は以下の聖書箇所から取られました。

へブル人への手紙 10:35,36,37,38,39

ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはいけません。その確信には大きな報いがあります。
あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。
  「もうしばらくすれば、来たるべき方が来られる。
  遅れることはない。
  わたしの義人は信仰によって生きる。
  もし恐れ退くなら、
  わたしの心は彼を喜ばない。」
しかし私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

当時の私は見つけることが出来なかったけれど、
信仰で生き、恐れ退かないで忍耐し続けるとき、
これだ!と思える進路先も見つかるようです。

日本が目覚める時です!!





応援よろしくお願いします。