【大学の話】日韓協議の代表者になってください

You’ll be divided into two groups, one representing South Korea and the other Japan, and then negotiate on the following, to settle the issue on comfort women.

Apology from Japan
Reparation from Japan
Handling of the Statue of Girl in South Korea (in front of Japan's embassy)

というのが今回のPolitics of Japanの授業である。リーディングやって、講義受けて、最後の面白いパート(セミナー)が50分まるまる使った討議の時間だ。先生がグループの間を行ったり来たりして、ちょっと知識を補足してくれたりヨーロッパの例を話してくれたりするのがちょうどよく話題を加速させる。

日中韓の関係値

War memory, Traumatic event, handling of collective memory. 政治ー社会学的に歴史と集団記憶の形成というのは重要なトピックである。が、今回はそちらのセオリーよりも、政治・国際関係路としての日中韓の国際問題について触れようと思う。Politics of Japanは私が去年からずっと楽しみにしていたモジュールで、実際すごく面白い(新しい理論的知見を得られるという点で)。
日中韓の問題といえば靖国問題か、慰安婦問題か、徴用工問題か。それに派生する形で(全てに係る形でと言っても良い)教科書問題、一般に歴史認識問題。私はそこそこリベラルな先生のもとで高校の世界史のゼミみたいなのをやったので(今思えば、Post-modernityの時代を反映した教え方の世界史だったんだなとわかるし、それを高校でできたのはすごいことだったんじゃないだろうか)、そこそこリベラルな感じの意見が形成されているのだけれど、人によってどう思うかはそれぞれだろう。慰安婦問題については「最終的で不可逆な合意」と賠償がなされているが、いまだに政治化され繰り返されている。
こういう問題に触れたとき、最初の認識は’multiple truth’が存在するんだな、と思っていた。が、本当はそれはConstructed truthであり、そこに政府とか、市民団体とか、アカデミアとか、色々な権力が関わって作っているものであり、またそれが表出する一つの例が(私の興味のある)教科書問題なわけだ。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/rp/page25_001910.html
例えば数ヶ月前の映画「激戦場」のメッセージとしては、日本が植民地支配をした側であり、軍備の拡大や家長訴訟に始まる教科書検定を関する問題は、日本側の「誠実な謝罪」を反映しないだろう、というかなりリベラルな批判がなされている、とか。

理論:戦争と記憶

記憶の構築と戦争後の社会の復興というのは卒論で主にやることになると思うので、今回かなり面白いなと思いながら読んだ(読んだあと気持ちよく眠れた)。例えばHashimoto(2015)は、日本の戦後記憶の形成はヒーロ像、被害者意識及び侵略者としての3つの柱をもとに構築し、それぞれが一部重なりあい衝突しているとする。一方でQiu(2006)は、中国政府により意図的なナショナリズム扇動の動きがあることを認めた上で、歴史問題が異なる社会集団が「正しい歴史像」を競い合う場になっていることを指摘する。双方において、冷戦に向かう世界事情の中で戦争直後の和平構築がうまくいかなかったー日本はアメリカによる東京裁判がCollective reponsibilityを構築しなかったし、韓国は権威主義体制だし、中国は革命と政府の移管問題でゴタゴタしていたし。

アクティビティ

で、歴史問題はHighly politicisedだね、ということをやった上で、今回。思ったことをいくつか書こう。完全なランダムな割り振りの結果、私は(もう1人の日本人と共に)韓国グループにアサインされたので、いわゆるOffenceサイドである。日本に植民地支配の歴史を認めさせよう、の側。韓国政府の気持ちに立って日本に何を求めるか色々ヤジを飛ばしてみて、思ったことがいくつかあった。

①政治に関する者の教育不足は時に致命的な結果に陥る
8月14日は国際慰安婦問題の日であり、同時に日本にとってはアメリカが日本の降伏を通知した日である。慰安婦問題関係の式典をやる時、8月14日なら8月15日じゃないからいいか、とするのか、14日も(日本にとっては)ネガティブな歴史として取り扱うのか、国家での取り扱いをきちんと認識しておかないと、政治と社会の乖離が生じるなと思った。

②相手国の政治システム・権力分配の理解は交渉に優位になり得る
日本において、天皇は自主的な政治活動をできるのか。答えは出来ないーよく知られた話だが、憲法上「内閣の助言と承認を必要」とすることになっている。そういうことをちゃんとわかっていないと(交渉の場に立つ者が相手国の事情をわかっていないことはないと思うが)、的外れな交渉になる危険性があるんだな、と再認識したのだった。

③レベル認識を適切にすることが必要
国家向けの政策なのか(国家同士なのか)?社会向けなのか?個人向けなのか?その全てに対処する必要があるのか?それが分からないと、取り残された層が生じるんだなと思ったーポピュリズムで「取り残された中間層」の話をやったことをぼんやり思い出したりしながら。

④長期目標を認める必要がある
どこに持っていきたいのか?内情では「別に関係向上を求めていない」というのも政治的にはアリである(私がアリだと言っているのではない)が、その後どのような方向に持っていくか、長期的な目を持つことが必要なんだな、と思った。国際的にプロモートしたいのか?国内に対して支持を集めたいのか?そのいずれを優先するのか?

終わりに

日本の帝国主義とよく比較されるのが、一応「成功した」とされるドイツの例である。が、ドイツは「ホロコースト」ではあるものの、「植民地支配」ではなかったんだな、ということを今更感じた。日本は植民地支配であったわけで、それに対する1995年の村山談話は初めての植民地支配に対する謝罪なんだよ、というのは興味深いと思う。オーストラリアのアボリジニに対する謝罪。イギリスとアイルランド。プロブレマティックな国際関係は色々ある。未解決なものもたくさん。

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