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【大学の話?】共同教科書をグローバルにみる

共同教科書を、世界的なコンテクストにおくとめちゃくちゃ面白い。

まず、共同教科書というものについて、皆さんはご存知だろうか。英語だとJoint (history) textbook か Common (history) textbookなのだが、この定義でしばらく語れるので(卒論では実際これでひと段落使っている)、ここでは「戦争とかで対立してた国とか集団が、戦争の後に一緒になって教科書を作って、仲良くなるのを目指す」ための教科書だと思って欲しい。中国と韓国と日本とか、ドイツとフランスとか、ドイツとポーランドとか、そういうふうに喧嘩をしてきた国が、一緒に教科書を作ろう、という取り組みだ。

教科書というのは往々にしてナショナリズムを鼓舞する道具として使われるので(国民教育というのは国民を作り出す上で重要であるため、それを批判すうわけではない、GellnerやAndersonのナショナリズム理論における教育の役割を思い返してほしい)、それを防げれば、戦争も防げるだろう、というリベラルな考え方だ。

この共同教科書・共同歴史認識の取り組みというのは戦間期から見られるものなのだけれど、特に1945年から1954年までの間、ユネスコはこのような取り組みを支援しつづけた(Faure 2010, p.22 )。が、1954年でアクティブな支援は終わってしまっている。なぜだろうか?

1954年にソビエト連合が国際連合に加盟するからだ(ibid). 代わりに、並行してヨーロッパ評議会はヨーロッパの歴史を形成するための様々な取り組みに関与してきた。例えば、トビリシ・イニシアチブ。トビリシがジョージアの都市の名前であることは皆様覚えていただいたと思うが、ジョージア・アルメニア・アゼルバイジャン・ロシア連邦が関与し、欧州評議会、欧州歴史教育者協会、ジョージ・エッカートなどがサポートしている、とか。欧州とロシアが歴史認識で間接的にも同じステージに立つこと、あるんだ。

合わせて、共同歴史認識の取り組みというのは、大きく二つのフェーズに分けられる(Stöber 2013)。最初は、フランスーイギリスとか、フランスードイツとかでやっていた、教科書を一緒に「見直す」会。これらの国々は、すでに紛争が「過去」のことになっていて、その記述を考えていく。その流れで1970年代にポーランド・ドイツの共同教科書が生まれる。しかし、1990年になり、様相が変わる。アフリカの国々はその頃にはもう独立して30年が経ち、1990年ルワンダ紛争、1990年代のイスラエルーパレスチナ和平協議、1990年ユーゴスラビア解体と、世界が紛争に陥っていく。そこで、「紛争で国内自体が分断した国々」が、「国際社会と足並みをそろえながら」平和を構築しないといけないという二重の難しさに直面することになる。このあたりで、新しい共同教科書の取り組みの流れが生まれる。色々な言語で作成し、最近の紛争の話をするよりも、異なるグループの相違性や、様々な視点を持ち込むことに注力する。その点で、これらの教科書はオフィシャルに使われるものではなく、あくまで補助教材としての性格が強いものとなっていくわけだ。

ユーゴスラビアの例で言えば、コペンハーゲン・クライテリアに基本的人権の尊重みたいなことが書かれている上に、東方拡大の際の条件に(特に旧ユーゴ諸国は他の中東欧の国々とは異なる加盟プロセスが敷かれている)地域の安全保障とEUの精神への協調(他の地域は地域の安全保障が別のクライテリアになっているわけではないはずだ)が入っているために、すごい極端に言えば、歴史認識でそれぞれの国が対立している限り、EUには加盟できない。一方でボスニアーヘルツェゴヴィナ、セルビアーコソボなど対立は顕著で、セルビアでは右派化が進んだりする中で(実はセルビアの民主主義の後退は地域の中でも顕著なのである)、ますますナショナリズムと地域統合が相反する形になってしまうのだ。

本当は東アジアの例をどこにおくべきなのかちゃんと書きたいのだけれど、東アジアの共同教科書自体で多分3バージョンくらいあって、European Councilとかのプロジェクト・レポートがない分調べるのが大変なので、次回の宿題にしたいと思う。というか、大学院で多分やると思うからとっておこうかなと思う。ユーゴの例も先生に言われて気がついたのだけれど、実現したものと、実際には実現せずに話し合いで終わってしまった例みたいなのがあるらしいのだ(今一生懸命調べている)。

ちなみにずっと東欧の話ばっかりしてるけど、欧州連合が全面的にファンドしているEuroClioというNGO団体 (欧州歴史教育者協会)がある。これは世界の歴史・地理学・市民教育をより良くしようという試みのもと色々な活動をしている団体なのだが、東アジアの歴史紛争も当然のように捕捉され意見書などに取り込まれているので(EuroClio 2022b)、必ずしも全てヨーロッパのコンテクストだけに収束するわけではないのである。

こうやって世界でどんな動きがあるかを眺めてみると、途端にバラバラだった各地の取り組みが繋がったり意味を持ったりしてくるの、面白いよな〜と思う。

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