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【大学の話】政治学を日本語で復習した日

はじめに

諸事情で、政治学と国際関係論(日本では国際政治学というらしい)、それから行政学と国際法を日本語で学んでいる。普通にすこぶるしんどいのだけれど、学術的には面白かったり良い復習になったり良い予習になったりして、まあ無為に過ごすよりはずっと良いかと思いながら机に齧り付いている。
私の専攻は、Politics, Sociology and the East European Studies BAという長ったらしい名前なのだけれど、この本質は政治学と国際関係論、社会学あたりを学んで、地域研究ができるようになることにある。言い換えれば、卒業した時に私に身についているのは、主に比較政治学と地域研究の手法である。加えて国際関係論理論とか政治哲学とか、色々政治・社会学の中の細かい種目に沿って選択ができる。

私はこのコースを、実はかなり気に入っている。実は入学した時、転部を考えるくらいには悩んだんだけれど、結果として収まりの良いところにきたな、と思っている。

というのは本題ではなくて、政治学の話をしよう。政治学を専攻名に関するコースで学ぶ者として、特に比較政治学や政治体制論(私の大学ではIntroduction to Political Scienceだったのだけれど)は既習である。日本語で政治体制論を扱ったときに、これ英語でやったな、と思って2学期のノートを見返してみたら、本当にやっていた。むしろ、日本語で名前+セオリーで取り扱われている人の論文は結構な数を原典で読んでいた。
なんだか嬉しかったので、ノートのメモを抜粋しながら振り返っておきたいと思う。

なかみ(本題)

リプセットとロッカン(1967):ヨーロッパにおける社会対立の4区分

ちゃんと ’Four types of cleavages in Europe (should be different in different context)’と下線と太文字で強調してあって笑ってしまった。そうだよね。ヨーロッパベースの理論だったら、そこを強調する必要があるわけだ。合わせて「凍結理論」も’Freezing” hypothesis’として、1920年台の社会対立構造が1960年台の政党対立の構造に反映されているとちゃんとやっていた。「政治過程論」伊藤光利・田中愛治・馬渕勝(有斐閣アルマ)のp.113とかで書いてあることと全くおんなじだ。

当たり前だ。英語で書かれた論文を日本語で訳したとて、その内容が変わってもらっては困る。だけど、なんだか、日本語でやる時と英語でやる時と、その印象が大きく変わってくるなあ、と思う。なんでだろう、Lipset & Rokkanと書かれる時と、リプセットとロッカンと書かれる時ではかなり違って見えるのである。

リンツ(1990):権威主義体制の定義

自分は大統領制と議会制の比較及び大統領制の問題点についてやった時に強くフィーチャーしたのだけれど(Linz, J., J. 1990)、そもそも権威主義体制の人である。権威主義体制の人ってなんだ。フランコか。あんまり意識していなかったけれど(政治科学で括るから)、この辺りは比較政治学とか政治過程論とかいう名前がつくんだな〜とわかった。なるほど。

レイプハルト(1969):Consociationalism(多極共存主義)

政治学ではなくて、社会政治学でやっていた。社会学と政治学に足をかけて、政治を社会の分析から理解しようとするのが社会政治学である(「社会政治学入門」から抜粋)。’Race and Ethnicity’のトピックで扱ったので、なんとなくヨーロッパらしい分類かもしれないな、と思う。

‘Consociationalism’ coined by Arend Lijphart Political system based on power-sharing among groups to avoid majority rule by one majority group (cf. US Senate - to avoid the big state to dominate the political sphere)

アーモンドとヴァーバ(1963):市民文化論

こちらも政治社会学で。日本語で読んだとき、あ〜なるほど、アメリカと英国と議会の特徴が色々違うのね!と思ったけれど、普通にちゃんと既習だった。覚えていてくれ。

3 general types of political culture:1. Participant: citizens engaged with, and pro-active in, politics citizens2. Subject: Citizens not engaged in activity or not active3. Parochial: subjects rather than citizens; interested in local concerns, than national concerns
← different region of the world should represent different characters
The balance is important to create the political culture which is supportive to democracy

なんだか、めいいっぱいになりながら学んでいたことは、もちろんそれら自身として意味のあるものたちだったのだけれど、「政治学の体系」という枠組みの中でも、きちんと価値のあるものだったのだろうな、と思う。

おわりに

別のところでも書いたかもしれないけれど、英国の大学の授業の特徴はなんだと思いますか?と聞かれたとしたら、「日本の大学に行ったことがないからわかりませんが、それと私は政治学をはじめとする社会科学関係の科目についてしかわかりませんが、ああと私の大学は結構リベラル系の大学なおでその傾向もあると思いますが」と前置きをした上で、たとえ基礎科目でも(ゼミ系でなくても)大事な理論がどれなのかよくわからないです、というと思う。それは良いことでもあって、悪いことでもある。教科書などをパッと読んで、要点だけを抜粋して理解できないというのは、ちょっと効率が悪い。だけど、同時に「自分が考えたいテーマについて重要なもの」というのは、自分で定義する必要があったり、もしくは先行研究を大量に読んでみて「これは色々な人が批判したり同調しているんだな」と、特定分野に対しての理解を膨らませるのには役立ったりする。正直後者の方は、進学準備コースの卒業制作(論文と言って良いのか…?)の時とか、エッセイを書く時とかにすこぶる面倒くさかったけど、同時に自分で必要か不要かの振り分け作業を行うこと自体が面白かったりした。かつ、それを日本語の体系とか、他の機会で学び直した時とかに、「あああそういうことね!」とか、「他とつながる〜!」と言ったようなつながりが生じたりすると、メタ的に面白くなる。

楽しいね。

一応参考文献

(ハーバード式の参考文献を書きたかったが、日本語でのやり方が正しいかわかりません、まあ元の本はわかると思うので何卒…)

・伊藤光利・田中愛治・馬渕勝(2000). 政治過程論. 東京:有斐閣アルマ.
・久米郁男 他(2003). 補訂版 政治学. 東京:有斐閣.
・Linz, J., J. (1990). ‘The Perils of Presidentialism.’ Journal of Democracy, 1 (1), pp. 51-69. Available at: muse.jhu.edu/article/225694.
Lijphart, A. (1969) ‘Consociational democracy’, World Politics, 21, 207-225
・Chilton, S. (1988). ‘Defining Political Culture’, The Western Political Quarterly 41, no. 3, pp. 419–45. Available at: https://doi.org/10.2307/448596. : Almond & Verba の内容を抜粋しているものとして

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