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【日記】おしまい

日曜日はなんか良い日だった。11時間くらい働いた土曜日の後、朝9時に起きて置いてあったコーヒー牛乳を飲んでみたら完全に乳成分と上澄が分離していたけれど、それ以外は良しとして、お勧めされた本を読んで、ついでにおすすめで出てきた本を読んで、嫌な結末だったので陰鬱な気持ちになって、スーパーにアーモンド・ミルクを買いに行って、その後夜は課題をやった。課題をやるなんて!RADWIMPSがライブ音源をApple Musicで配信するという神みたいな所業を成し遂げたので聞きながらやった。ライブってなんでこんなに美しいんだろうか。


今日は二連休だ。全く何もない二連休。

日が随分と長くなった。4月、7時でもまだ明るい。陽が全くささない私の部屋も、いまだに明るい。夜のシフトに入ってもまだ明るくて、年上の新しく入った人が「日が長くなりましたねえ」というので、私は「そうですねえ」と全く意味のない返事をした。年下の人がほとんど入らないので、大抵の人は年上の新しく入った人である。もう23さいなのに!

春休みは日本の政策についてのエッセイを2本書いているので、結構面白いと思う。中央アジアの開発政策への日本の関与と、慰安婦問題への日本の政策だ。東欧研究学部にいるけれど、結局ね。

よくも悪くも、穏やかな日々だ。先週と先々週メンタルが終わっていた分、今週は元気めでもある。朝オンラインで説明会に出て、課題をやって、夜はバイトに行くか課題の続きをやるか。春の暖かな風に吹かれながら、ああ春だなあと思う。たまに冷たい雨が降って、冬物のコートはもう少しだけおいておこうと思う。

ものごとが徐々に終わっていく音がする。もう来年の履修登録もないし、家探しもない。日本に帰って、仕事を求めて、仕事が得られなかったら一旦絶望するだけである。高校が終わる時もこうだっただろうかと思う。高校卒業前、登校が全然なくなって、私は何をしていただろうかと思う。物事の終わりはいつも漠然と、静かに優しくやってくる。あの時はまだ、コロナの時だった。

もうロンドンで春を迎えることも、夏を迎えることも秋を迎えることも、冬を迎えることもない。クリスマス前後の寒さに顔を顰め、連休のバイトの忙しさに朦朧とすることもないのだ。そうやってないことが積み重なっていくのを感じながら、3ヶ月後には、いやもう2ヶ月と1週間後には実家にいるのだと思う。

私はロンドンを満喫できただろうかと思う。きっとできていないと思う。大学を満喫しただろうかと思う。きっとできていないと思う。もっとできたことはいっぱいあったと思う。これだけの資本を投入されて、それに相応する価値を生み出しただろうか。私は4年という月日を無駄にしたのではないかと恐ろしく思う。誰か無条件に、キミの4年は大いに意味のあるものだったと肯定してくれと思いつつ、それは私自身の仕事だと思い、それはあり得ないからその誰かも生じないのだと思う。

ヨーロッパにいるのだし課題もまあそこそこ順調に進んでいるのでちょっとヨーロッパ旅行に行きたいような気持ちと、帰国後の生活資金をちょっとでも貯めておきたい気持ちを戦わせている。後者の方が強い。今円安だし。そうやって生活が続いていくことに気を取られて、終わっていくものを見逃してしまうのかもしれない。仕方がない。人生はそこそこの確率で続いていくのだ。

そうやってひとりで岩戸に籠ってぐちぐちと文章を紡いでいた、幸せな大学生活であったことは間違いない。

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