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【英国卒論日記】#4

というわけで(どういうわけで?)なんでかわからないけど徹夜して、卒業論文は大枠が終わった。10000単語のところコンクルを除いて10300単語あるけど、まあ徐々に削っていけるだろう。


共同教科書を’study’するにあたって、本当はやりたいことが色々あった。

が、「共同教科書ができるプロセス」を読むことにした。ギリシャの小さい団体のカンファレンスまとめ本を読み、最初のチェアマンの発言を読み(なんで読めたかというと弊学部の図書館はバルカンに関する資料もちゃんと蓄えているからである)、このカンファレンスに参加した国連のギリシャ代表が国連宛に送った報告書を読み、カンファレンスをやった人がイギリスでやった会議の議事録を読んだ。アメリカが2009年に作った報告書が一番まとまっているものだが(Out of the Broken Mirror)、2016年にEUの支援を得て作ったPart 5/6は含まれていない。のでEUのStabilisation pactの報告書を読み、EUのファイナンス資料を読んだ。全てオンラインと大学図書館に原本が所蔵されている。

日本の草の根無償協力でも、実は支援されているプロジェクトである。印刷された教科書の裏表紙には、日本国旗がUS国旗などと肩を並べてちんまりと座っている。

が、共同教科書を作ったNGO自体が2019年で倒産しているので(これは裏が取れている)、内側の資料は全くない。NGOを導いたコスタ・カラス氏は2022年4月に亡くなった。

さて、NGOは倒産してしまったわけだが、共同教科書に和解を期待するリベラリズムの時代はもう終わってしまったのだろうか?

EUが東方に拡大する中で、「地域史」の取り組みは限界を迎えつつある。西ヨーロッパの対ホロコーストの基盤すらも、ポピュリズムやウクライナ・イスラエルでの戦争で揺るぎつつあるように見える。そんな時代に、共同教科書を作り意味なんぞあるのだろうか?本当は意味などないが、EUはUSが民主主義の押し付けという形でやらせたのではないか?という懐疑心が根底にあった。

しかし同時に、歴史問題を乗り越えるには、共同の記憶を作っていくしかないという人たちもいる。Buzan&Go 2010とか、2010年になっても。逆に、記憶を政治化するから悪いのだという人たちもいる。見ている姿は似ていて、根底にある対立する記憶をなくして政治化を無効化してしまうか、政治化を防いで問題を防ぐかというどちらのステージにアプローチするかだ。

だと思っていた。

しかし同時に、共同教科書作りというのは、新しいレジリエンスを作り出すプロセスなのだと思った。私がリスク・レジリエンスの理論が大好きなのはもうそこそこお分かりいただけたと思うが、共同教科書を作り、「歴史をCriticalに見る力」を教える可能性を教員に与えること、生徒に伝播することを期待することは、すなわち個人がヘイトクライム的な論調に出会ったときに対処する方法を与える方法であり、レジリエンスの一つなのだと思う。卒論で共同教科書の「意味」を問うたわけではなかったのでそんなことは書かなかったが、既存の見方に囚われていた自分に気がついた。

これは歴史学の領域でもあった。1996年の資料を読み込むということは、歴史を取り扱うことである。しかし、政治学は常に歴史学なのかもしれない。それはアプローチ的に、政治を知ることは必然的に歴史を知ることだからである。いや、選挙結果とかを分析すればそれは限りなく現在に近いが、常に現在は過去になっていくわけで、私は政治学というものを政治学の学生として捉えることに非常に苦労した。政治とは何か?Politic is about power, power is defined as a capacity to coerce someone to make an action, which otherwise he would not have doneなのだろうか?

しかし「共同教科書ができるプロセス」を追いかけて、who had agency?と問いかけている時点で、やはりプロセスの中で ‘power’を持っていた人を知ろうとしているのであり、それは政治学の領域である。

本当は「共同教科書というものは意味があるのか?」ということを問いたかった。つまり、ナショナリズムを作り国民を作り創造の共同体を作るための国家教育と歴史教育において、地域等で共同の教科書を作るということは、各々の存在論的安全保障に影響するのではないか?ということだ。しかしこれは調査がほぼ不可能でー現地で子供に使わせてみるのが一番良さそうだが、倫理委員会を通す必要があるー、同時に非常に理論的な話になるからやめときなと言われたのだった。

それを別の方向から見ようとしたのがこのプロジェクトであり、結局、「旧ユーゴの共同教科書は地域から出た(bottom up)プロジェクトだったのか?」という問いを立てることとなった。これの裏には、「誰かにやらされたプロジェクトではなかったか?」という懐疑心があった。まあ並に言えばcompromiseの結果なのだが、結構面白かったんじゃないかな、とか思う。

今からReference list作ります!!!死 2週間置いて、また読み返して書き直して、4月26日には万全の状態で提出するのだ。


ご褒美に、大きな本屋に行って本を買った。またそのうち感想文を書こうと思う。10000単語書いた後に2500単語の課題をやると、本当に短くて拍子抜けするので、課題に苦しんでいる人はやってみたらいいと思います。知らんけど。

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