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22歳誕生日に添えて

無くしたと思っていた充電ケーブルの根本が返ってきた。バイト先で誕生日を祝ってもらった。少なくとも朝は、空が晴れ渡っていた。そんなところから、22歳が始まる1日を想おうと思う。


2022年21歳、私の目標は「ひとりでいられる強さを持つ」ことであった。具体的には、誰が近くにいてもいなくても平然としていられるメンタルを持つようになること。自分の機嫌を自分で保つこと。自分の生活を自分で回すこと。
前半については、かなり達成されたんじゃないかと思う。苦手な人が周りにいようが、逆に仲の良かった人が身近にいなかろうが、ふ〜ん、の気持ちで過ごせるようになった。1人でいる時間が、一番心の落ち着く時間であることがわかった。それはもとからの傾向で、後からその理解が追いついたにすぎないのだけれど。世界には日常の延長線として人と会う人と一度日常を離脱して人に会う人がいて、私は後者。以上。

私の目の前には取り組みたい何かがあって、読書と本とカメラがたまにあって、たまにご飯を食べに行ったり、話を聞きに行ったりする知り合いがいて、実家がある。尊敬できる先輩たち。取り組みたい何かがないと途端に不安になるので、いつも何かを用意しないといけないのはもしかしたら人間の摂理に反しているのかも知れないけれど、変える方法も必要性もわからないのでそのままいつも不安がっていようと思う。

たくさんの本を、特にシンガポールや日本の行き帰りにおいて読んだ。シンガポールは別にだらだらしていたわけじゃないのだけれど、非日常に身をおいて、違うものを見て違うことをするのは、私に取っては魂の休暇だった。

海辺のカフカにおいて、図書館を持つことに思いを馳せた。私たちはいつも損なわれ続けているけれど、その奥底に損なわれない何かを持つこと。

退屈の思想史で、自分の世界を広げることーユクスキュルの思想に触れた。人間は自分が見えるものを理解した時、退屈を感じる。

Riskの概念について論じているときに、未来を支配することに思いを馳せた。未来に何らかの影響を与えずには行動できないから、完全に消すことのできないリスクは「分散する」。

2年半くらいを、守りと精神の安定に費やした。というか、高校から進学準備コースに出て、学業で挫折したり生活につまづいたり人間関係がしんどかったり思うがままに行かなかったりして、一回守りに入った。いまだにしんどいこともうまく行かないこともありまくる。生きるのは難しいし、意志を持って人生に執着しないと、その手を離すのは容易くみえる。だけど、執着している方が楽だからそのまま、ちょっとでも良い何かを求めて生きるのが人生なのかなと思う。これをPath Dependencyと言う。言わないかも。

だけど、それを経て今私は、自分がどういう性格をしていて、どういう風に生きたいのかを少しばかりは知っていると思う。多分もう、許せない親戚に泣き喚くこともない。私は立板になれる。他人からの言葉は文字通りとらない。他人が意味することも、その言葉におく重きも人によって違っていて、それを一目で理解するのは不可能だから。どんな時でも意味40%くらいに留めておいて、それに対する自分の解釈のほうを書き留めておく。

なんだか、こう独立した自我として、ちょっとは強くなったんじゃないだろうか。哲学的には独立した自我というのは存在しないのだけれど(Situated Selfだから)、まあこう、日常会話で使う程度の独立した自我ということです。
努力しなくても私はこれだ、と言える何か輝くものが欲しいな、とは思う。いつも3番手みたいなポジションで蠢いているだけだから、私がそのまま価値になる何かを見つけられたらいいのにな、と思う。


2022年21歳、私の哲学的問いは「人間は何のために生きるのか?」であった。これは、とある就職活動の最終面接で「あなたは社会においてどういう存在だと思いますか?」という問いに対して、自分なりの完璧な答えを返せた時に、私の中で完結した。「暇と退屈の倫理学」をはじめとした様々な本が、私の中で色々組み合わさっただけなのだが。

2023年22歳、今年の哲学的問いは「現在を切り刻んで将来のために努力することにはどのような意味があるのか?」である。前述の問いが解消されてから、今度はもうちょっと内的問いに移り変わった。私たちはより良き毎日を目指して努力するけど、もしくは努力しないとより良き明日は来ないけれど、努力した先の未来はさらなる未来に対する現在であって、私たちはどこにも辿り着かないのではないか?来年までに自分なりの答えが出ると良いですね。


もうちょっと現実的なことを言おう。

食事に対して、上手に積極的になりたい。一人で食べる食事を楽しめるようになりたい。去年は、食事を疎かにして体調を崩すことが多かった。一人暮らししてから一年に熱を出す回数が増えている。だから、食べることをポジティブに捉えられるようにしたい。食べる時に、体重が増えることとお金を使うことが足枷になっているけれど、どうにかできないだろうか。稼ぐか。そう思うと、きちんとお金を稼げる将来を生きたいな、と思う。

相手の会話に対して、聞き上手になりたい。相手が何かを話しかけてきた時、その背後には「話したい何か」があることが大半で、「自分の話をしすぎる」ことは求められていない。それがわかっているのに自分の話をしてしまうことがよくあって、嫌なやつだなと思う。相手をうまく持ち上げられるように、相手の話をうまく引き出すような会話ができたらいいなと思う。


ボストンで帰りのウーバーに夜11時、ホテルから1kmくらいあるところで降ろされた時、真っ暗で知らない街の中で私このまま人生終わるのでは?とぼんやり思ったのを覚えていて、同時にわたしもうちょっと生きたいなと思った。いや、23時のボストンなんて大して危なくないとは思うんですけど、知らない国の夜それもアメリカはやっぱり、ね。でも思ったからちゃんとピンヒールで1km歩いて帰れたので、その実績を誇りに今年もより良き生活を求めて生きていこうかな、と思います。

何卒。

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