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【日記】先輩・人生

用事がある時以外で会う日本人は、先輩ばかりだ。せんぱ〜〜いご飯でも行きましょうよ、と構ってもらっていると言った方が正しいかもしれない。もうそろそろ彼女たちも帰っちゃうんだなぁと思う。6月に卒業か。ほんで俺は1年後と3ヶ月後に卒業か。早いもんだな。

イギリスに来て、なんとなく日本人というものは単一的で共通文化を持っている人間だと思っていたのが、大きく誤りだったことを知った。当然だが、日本人というラベルは一つの側面に過ぎない。そんなこと、当たり前なのに。いかに自分が卒業した高校の人の一部が、つまり親交のあった人たちが、特別自分の性格に合った人たちだったのかを知った。高校にいるときは、教室での立ち振る舞いがわからなくてなんとなく場違いな気がしていたけれど、ロンドンのど真ん中に来てみたらますます、人間ってさまざまだなあ、と思った。社会的階級、背景、考え方。人間はさまざまなのだ。

その中で、なんとなく高校の人たちと似ている雰囲気を纏う人が多かったコミュニティがある。同じ奨学金の受給者だ。当然ながら必ずしもベン図が重なるわけではないし、その外にも気が合う人はいるのだけれど、確率として。

といいつつも、私はファンデーションコースをやったこともあって、同い年にはそのコミュニティの人々がいなくて、結果先輩とばっかり遊んでいるのである。そんなに遊んでいるというほど遊んでもないけど。せんぱ〜〜い。なんか気があう人たち。将来に対する不安とか、現実社会に対する漠然とした疑問とか、そういうのを言語化することを厭わない人たち。私はそう姿勢をひっくるめて人生に真摯に向き合ってる人たちと呼称しているのだけれど、そういうことを話せる人というか、そういうことに大して自分なりの考えを持っているところが素敵だなと思う。あとは、大学の勉強で「これに興味があります!」というものがあって、その話をしてくれるのが楽しかったり。そして私自身も、そうありたいと思う。

なんもしてないのに疲れた時がある。わかる。1週間を振り返ったときに、あれ今週大学行ったけど、なんかしたっけ?となることが多々ある。何もしていない毎日が積み重なって留学生活を作り出していくはずだけれど、私今週何したっけ。私本当に大学通ってる?大丈夫?(大丈夫大丈夫)

冬眠したい時がある。休息を取りたいけど、私たちの周りの世界が動いていくのが怖い。それこそ周りの人たちは、「ちょっと休んでもいいんだよ」とか言ってくれるけど、それは優しさからくる言葉であって、きっと歩みを進めるのをやめたら、自分自身が不安で潰れるんだろうな、と思う。

帰る場所があるのはあと10年くらいだと思う。大学の先にあるのは就職活動で、私たちは何となく帰る場所があるから、と思って就職活動をしているけれど、やっぱりその先を考えた時に、安定した仕事を選んだ方が自分の精神安定のためになるんだろうな、と思う。年金とか、保険とか、やっぱり自分の生活を保てる手段を確保することを考えながら、どうするのがよいのか考えている。

どうやって死んでいくのだろうか。私は「今死にたい」とか「自殺するぜ」とか思っているわけではない。私は全身タンクローリーに引かれようが切り刻まれようが生きる。だけど、例えば80歳になって、たぶん一人で、もうやりたいこともなくなって、できなくなってあとは先細りの年金だけで生きていて、その時に「死ぬ権利」はないのだ。あと60年寿命があるってまじ?

話していて思ったのだけれど、日本の高校を出て、4年間英国にいてまた日本に戻るというプロセスを踏むということは、もしかしたら転職ベースの、つまり同じ場所に留まることができずに(「留まらないで」ではなくて)自分に価値をくっつけていく人間になる一歩を踏み出してしまったということなのかな、と思う。世の中を移動しながらキャリアを構築していく人と、一定の場所に止まったままキャリアを組んでいく人に二分できるなら、という話だが。

大学の成績と、大学から得た知識と、大学の構造と、社会の構造と、人生に対する不安。私たちはここからどこに向かっていくのだろうか。私たちはどうなりたいのだろうか。お先真っ暗な将来を手探りで進んでいくにあたって、同じように手探りをしている人たちがいるということを知っているということは、そしてみんながみんなそれぞれのしんどさを抱えて生きていることを知っていることは、力にはならなくとも、支えにはなるのだ。

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