【日記】京浜東北線
京浜東北線と山手線の交点の一つに、田端という駅がある。ホームに降り立つと2本並列に並んだホームのそれぞれから双方向に京浜東北線と山手線が走っていくのが見えて、なんだか綺麗だなあ、と思う。
京浜東北線には途中で止まってしまうものと、遠くまで行くものがあるらしい。何も考えないで乗ってから目的地まで行かないことに気がついて、どうしようかと思う。ふと目を上げれば、サラリーマンっぽい人たちが複数電車を降りた。なるほどここが乗り換え駅かと思ってついて降りてみたら、ちょうど向かいのホームに遠くまで行く電車が止まっていた。外国で暮らしていると、そういう行き当たりばったりのバランス感覚だけが磨かれていく。英語なんて大してわかってないですからね(関西風のイントネーションで)。
そのまままたぼーっと乗っていたら、突然「電車が緊急停車します」と放送で車掌さんが言って、その後に同じ旨を告げる機械音声が流れて、がたんと電車が止まった。隣の線路で金属が軋む大きな音を立てて、コンテナ車的なものが止まった。人身事故らしい。大した時間でもなかったけれど、箱詰めにされた静かな車両の中、向かいの席で綺麗にお化粧をした女性が手首に香水を振りかけて、その匂いが私の方まで控えめに漂ってくる。何もできない中の小さなレジスタンスに、生きることのそこはかとない美しさを見たような気がしたり、もっと甘い匂いだったらイラついていたな、とか、余計なことを考えたりする。電車は次の駅まで動いて完全に止まった。
大宮駅で降りたたくさんのサラリーマンと、言い換えればスーツと黒髪頭の後ろを追随しながら、私は少なくとも2年後くらいにはあの波に混ざっているんだよな、と思う。完全に自由で好き勝手に生きる選択肢もあるけれど、私はもうちょっと日本に縛られた生き方をしようとしている。選択肢は無限にあるけれど、結局何かを選んで、それが正解だと信じるのが一番難しい。
もしくは、多様性の中で自己を特別だと思い続ける方が、同一な社会の中でそうすることよりたやすいのだろうな、と思う。私が今拠り所にしている「ロンドンの学生」というラベルは、日本に戻ったら「昔ロンドンにいた日本人」に書き換えられてしまって、6ヶ月くらいで私以外の人には見えないところに沈んでいってしまうのだろう。それが勿体無いなあ、と思いつつも、じゃあ多様性の中に居場所を見つけられるかと言えばそうでもなくて、私はどこに向かっていくのだろうか。それは、大して何も成し遂げていないのに、まるで成し遂げたかのように特別な存在でいたいと思うから生まれる齟齬なのかもしれない。
「安部さんの経歴を見ていると、概ね希望を叶えながらやってきたように見えます。挫折した経験はありますか。」そんなことはないんです。毎日毎日うまく行かないことを無限に抱えて、主に屈折した自己意識と闘いながら生きているんです。でも、書面上「うまく行っている人」に見えていて、とても良かったです。
そんなことを思いながら、帰りは復旧していた京浜東北線に乗って、また家までぶらぶら帰る。スーツのジャケットを着続けるにはもう暑くて、まくったワイシャツの長袖の袖に高校生の制服を思い出す。私の日本の記憶はいつまでも高校のままでほぼ止まっていて、その次には夢見たいな帰省の2週間を何回かふわふわと重ねて、突然社会人という大荷物が積み重ねられることになっている。
2年生の終わりの自分を祝ってやりたくて、最寄りの寿司呑み屋に入って、サワー一杯で普通に若干眠くなって、今回も親に甘やかされた帰省だったなあと思うのだった。
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