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行政学、予算編成と懺悔

はじめに

行政学という学問がある。Public Administrationと訳す。政治学の系統というより、少なくとも私がやったバージョンはどちらかといえば経営学を行政組織向けに絞った、みたいな内容だ。それが正当な行政学なのか偏ったものなのかはわからないが(学問の全体像など決して見えないのだ)、私は30時間くらいでそれをざっくりやりながら、高校で生徒会をやっていた時のことを思い出していた。

思い出

弊出身高校には、おおかたの高校と同様に生徒会というものがあった。今思えば生徒会が内閣みたいな感じで、全校集会が直接参加制の立法機関、そこに内閣法制局みたいな法管理をする委員会とか、それぞれの意見を反映する象徴みたいな形での委員会(従って前者の委員会の方が、後者の委員会を総括する立場にあるという点で一段上になっているところも、国家行政組織法と似ているわけだが)があった。司法は明確な三権分立としてはなかったから、ロックの唱えた権力分立に近いのかもしれない。生徒会は厳密には各委員会の代表の集まりではなく(内閣なら大臣の集まりであるはずだ)、内閣府としての調整を兼ねつつ、執行機能を持つ、みたいな制度になっていた。と思う。文化祭実行委員会は内閣っぽかった。

そういうところから、民主主義の素晴らしさとか尊さみたいなものを前提として学校教育は作られているのだな、とつくづく思う。ちなみに生徒会の予算申請書は、振り返ればゴリゴリの稟議書だった。高校生の時、毎日のように稟議書作ってたんだな。

それはいいとして、生徒会で私は2年間会計主担当を務めたわけだが、ご多分に漏れず苦い記憶が大量にある。というか、高校時代の美しき記憶というものが失われていくスピードより、高校時代の恥ずべき記憶が肥大していくスピードの方が早い。助けてくれ。

行政学と予算編成

生徒会の予算というものの収入は、各生徒から毎年徴収する生徒会費(一律)と、前年度からの繰越額である。支出は、行事運営にかかる費用(学校全体に配分するものと、委員会に配分するものに分ける)と、部活動運営にかかる費用(部活動に配分する)に区分される。当時は全校生徒から巻き上げている生徒会日なのだから、部活動に配分する額は減らすべきなんじゃないのかとか、逆に行事運営にかかるお金は全校で負担するべきじゃないんじゃないかとか、色々議論があったし、結局私は別に納得したわけではなかった。いや、予算配分で納得することってありえないんだけど。

行政学に戻ろう。国家による財政には、資源配分の機能(パブリック・サービスを提供する)、所得再分配機能(貧しきものに与える)、そして経済安定化機能がある(伊藤他、p.209)。高校の中に資本主義的なものは存在しないから、生徒会の機能は主に所得再分配の機能と、資源配分の機能があることになる。今となれば、所得再分配の機能はその双方に、まだパブリック・サービスの提供については、学校の知名度や人気を下げないための対外的な取り組みを支援するという点において、部活動に対する予算の提供が正当化されるわけだ。自分は行事運営とか、部活動の大会参加費とかはこれにかかってくると思っていた(と今わかった)。

予算の組み方には、ゼロ・ベース方式と、シーリング方式というものがあるらしい。ゼロ・ベース方式は、つまり予算を0から毎年考え直すというもので、カーター政権時代に導入を試みて失敗した経緯がある。もう一つがシーリング方式で、これは前年度の予算から比較して増やす(プラス・シーリング)、維持する(ゼロ・シーリング)、減らす(マイナス・シーリング)形式がある。当時こうやって体系だって知識を持っていて、「今自分はどれをやっているんだな」ということがわかっていたら、もっと時間を無駄にすることなく取り組めたんじゃないのかな、と思う。実際自分はゼロ・ベースを試みて、失敗した記憶がある。

最後に、予算編成にはマクロな視点とミクロな視点がある。経済諮問会議がやっているような、国家全体の予算の方向性を決めるそれと、財務省がやるようなそれぞれの予算の内容を決めるそれだ(馬渕、p.350あたり)。特に生徒会費においては、前述のように前年度繰越金が多く発生する(大会参加費を予算でつけるものの、人数の増減や途中敗退などで執行しないことが多々あるため)。過去のデータや年度中間決算等を通して、マクロな視点での次年度への繰越金の見込み算出をやれていたら、それが解決できたんだろうなと今ようやくわかった。ミクロとマクロを1人で兼ねていたからこそ、それを両立させる必要があったわけだ。

そういうのを理解した状態で取り組めれば、一段先のところからスタートできたんだろうな、と思う。やりながらそれを理解して、その後課題に取り組むことができるほどの視点も気力も私には備わっていなかった。

終わりに

当時から行政学の知識があれば、もっともっと良い仕事ができたんじゃないかな、と思う。内閣のはずの生徒会が一番お金なかったし。プリンターのインクが足りなくて困るのとか、内閣の予算としてではなくて、公共サービス提供のために必要だったんだから、分ければよかったのになあ。

生徒会の同期はすこぶるに頭が良くて、行事の大改革をやったり(これはすごい)、すごく見やすい紙面割の行事報を作ったりしていた中で、あ〜俺の2年間もっと色々できたな、とずっっと思っていて、今の団体運営への取り組み方とかにも生きていたり、就活とかでも必要があれば話題にしていた内容だったからこそ、こうやってモヤモヤがちょっと言語化されたのが嬉しかった。

予算申請の稟議書と執行報告を眺めながら、部活動が勝ち上がったり、新しいことにチャレンジしたりしているのを見つけるのが、私は地味に好きだった。人とコミュニケーションを取るのがそんなに得意ではないからこそ、普段話さないような部活や委員会とも、紙の向こうからそっと覗き見できるのが嬉しかったのかもしれない。

そんなことを思いながら寝たら、予算案を作り終わらなくて徹夜している夢を見た。もう高校卒業して3年経つんだけどなあ。だけど、こうやって失敗した記憶が少しずつ解消されていく時に、マレーシアでのモヤッとした記憶がこの前の解決された時とかに、未来の自分が、今の失敗を赦してやる可能性もなくはないんだなあ、とちょっと安心する気持ちになる。それだけ。


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