【卒論日記】#5 スターゲイザー
久しぶりに、胃が痛いほどに緊張していた。卒論のスーパーバイザーになりそうな先生に話に行った、それだけのことである。私の胃はただでさえ四六時中もたれていると言うのに。それにしてもスターゲイザーとスーパーバイザーって似てますね。
卒論のスーパーバイザーになってくれそうな先生に話に行きなさいーというのが卒論対策の授業で「やっておくと良いこと」の指示の内容なので、素直に従った。私は馬鹿真面目なことが唯一の取り柄なので、馬鹿真面目にやります。うちの学部にはユーゴスラビア戦争と歴史認識に精通している先生が2人いる。セントラル・ヨーロッパ・ユニバーシティで博士を納めた初老の教授と、アメリカの大学で収めた若めの教授だ。若めの先生にメールしてみる。「面白そうなプロジェクトですが、僕は来年お休みなので卒論を見てあげることはできません」。なるほど。初老の先生にメールしてみる。「面白そうなプロジェクトですが、質問の形成の方法を考えた方が良さそうです、次のオフィスアワーに来てください」、はい。授業を取っていないのでGoogleで写真をググる。禿頭で目つきの鋭い先生だ。Concepts of Securityと言いユーゴの先生といい、なんでみんな禿頭で怖い感じにするんだ。
オフィスアワーに行くのだから手ぶらでは行けまい。突然数日後に入ったオフィスアワーを目掛けて、戦後平和構築における歴史認識と教育についての本を読みまくる。どうにかそれっぽいプロポーザルをまとめてみる。なんとなく戦後平和構築においてよく言われている、トラウマとかコレクティブ・メモリーとか教育とか多国間での共同歴史構築プロジェクトとかについての概要が見えたような見えない様な気持ちになる。グラムシのヘゲモニー論に準拠して、Historical Discourse AnalysisかCritical Discourse Analysisで行きます、と書いてみる。CDAは私がファンデーションコースを蹴ってしまったLancaster大学が中心地。
そうやって一応何かをまとめて印刷して、当日。緊張している。やたらに。最初の面接を受けた時と同じだ。4時半に来いと言われていたので、4時25分くらいにオフィスの前にたどり着く。隣の部屋がConcepts of Securityの教授の部屋で、それはそれでヒエエと思う。オフィスアワーなんて今まで散々行ってきたのに、なんでこんなに緊張してるんだ。
扉がちょっと開いている。扉の合間に教授が座っていて、目が合う。「はじめまして、メールしたマナカと言います。入っても大丈夫ですか?」初級英語。「どうぞ」こっわ。「あ、ちょっと待って」と言うと、初老の先生は廊下に出て、「トム!」と誰かを呼んだ。PhDをやっている学生でも来るのかと思ったら、別の教授が来た。トム教授(仮)か。「あ、この子がユーゴの教科書やりたいって言ってた子?」「そうそう」「何をやりたいんだっけ?」「日中韓の教科書とユーゴの教科書の比較です」突然問答が始まるのでビビる。しばらく会話が続く。最後に、「卒論書くのって意外と大変で、ユーゴの間の問題だけでも扱うのが大変だと思うから、他の地域と比較するのはもっと大変かもしれないよ」とコメントがついた。横で聞いていたトムじゃない方のーつまりオフィスの持ち主がー「まあ、他の教授から優秀な学生と聞いていますよ」と助け舟を出した。そうなんですか。別に私は今年突出して優秀と言う感じではないので、もともとよく話していた教授が口を効いてくれていたんだろうなと思った。だけど、なんだか嬉しくて、来週会いに行くからお礼しておこうと思った。トム先生(仮)が「まあじゃあ僕はこれで」とオフィスを後にして、私はアドバイスありがとうございます、と深く頭を下げたのだった。
オフィスの持ち主と正対する。「まあ、座って」ありがとうございます。「政治学と社会学の学生ですね」そうです。「2年生ですね」そうです。次の4月に学部の方にプロポーザルを出すことになっています。「何をやりたいんだっけ?」日中韓の共同教科書と旧ユーゴの国々の共同教科書の平和構築について検討したいです。「出身は?」日本で、日本語が読めます。英語と日本語が使えます。「日中韓の共同教科書について教えて」2005年か6年に発行された共同プロジェクトで、高校向けの教科書です。少なくとも日本では必要な場合に使われる程度ですが、3国間の平和構築の手法としてアカデミアでの注目を浴びたものでした。単発で質問が来て、背筋を伸ばしたまま答えた。ゆっくり喋る。何を言っているかわからなくなる時、半分は英語で半分は自分の頭が回っていない時だ。
「旧ユーゴの共同教科書が英訳されたとは知りませんでした」、と教授が言う。教科書の名前を教えて、と言うので、プロポーザル(仮)につけていたリファレンスを見せる。パソコンに表示して、教授が見る。「知り合いがいっぱい関わっていたプロジェクトでしたが、自分は最初の会議に数回参加しただけです」。そうなんですか。「僕はクリティカル過ぎるからユーゴにいられないんですけどね」そこから、ちょっと空気が緩んだ。
「自分はヨーロッパで最も重要な教科書研究のシンクタンクに勤めていたことがありましたが」と教授が言う。「ジョージ・エッカートですね」と返すと、先生がニヤリと笑った。
色々リサーチの可能性を提示してくれた。学部の卒論だから、あまりハイレベルなことはやらない方がいいのだろうな、と思った。「政治学・社会学の研究者としてやるべきは、教科書の中身や歴史認識それ自体を扱うよりも、それがどのような背景で、どのように作られたかの方です」。おっしゃる通りです。As a social scientist.
「あなたの卒論はスーパーバイズできると思いますから、プロポーザルを出すときにccなり何かでメールに付けてください」。はい、頑張ります、わたし。
結局リサーチ・クエスチョンは全部作り直さなくてはいけなくなったのだけれど、私は夏にやるべきことと今やるべきことのある程度の方向性を握りしめてオフィスを出て、ああよかったなあと思いながらバイトに向かったのだった。
高校の時に「ここがこの分野の最高峰なんだ」と思っていたところにーつまりジョージ・エッカートにーダイレクトに関わる人と話をしているとは思わなかった。人生って、すごいものだなあと思う。私は馬鹿だから、たったそれだけで、詐欺と大麻とストライキが横行するこの国の大きな大学に来てよかったなあ、と思ってしまうのだ。嘘、そんなに横行していないです。ストライキと大麻以外は。
それから、誰かの小さなお世辞が、よく知らない国のでかい大学の隅っこで勉強する小さな女子大生にとっては、強いエンパワーメントになることも。コロナ期に入学したしコロナ期に大学と揉めたから、大学のことをいまだに「なんだかでっかくてよくわからないInstitution」だと思ってはや3年だけど、たま〜〜に優しいこともあるらしい。
ちなみに誰も気が付かなかったと思いますが、【卒論日記】の#3と#4が飛んでいるのは下書きに入ったままになっているからです。よくみなおしたら#2すら下書きでした。
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