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【🇸🇪スウェーデン日記】#17: アート・ベイスド・リサーチ、豪雨

大学に行く意味とはなんだろうか。たっけえ学費を親と政府に出してもらってまで大学に行く意味はなんだろうか。というのを定期的に問いかけてみて、色々なところに見出す。

私は教育されたいタイプの人間だ。自分で何か素晴らしい研究をすることも新しいものを見出すこともできないけれど、先生教えて教えてと行っておしゃべりし、面白そうな論文を読み漁り、また先生面白いねと行っておしゃべりしに行って、そういう細かいステップでサポートが必要な人間だと思う。講義が好きなタイプの人間で、ついでに大成しないタイプの人間でもあろう。

サマースクールの授業は、色々な側面があって面白い。普通の授業を直線的だとしたら、つまり今まで知らなかったことに関しての知識を広げていく営みだとしたら、サマースクールの方は平面的に広げていくような感じだ。というのは、第一に、移民の統合というテーマに関して、新たな視座を得るという根本的な学びがある。エストニアの統合でも、スウェーデンの移民政策でも難民政策でも良いのだけれど、それを理解しようという知識面の取り組み。加えて、第二に、研究手法について考え直そう、という取り組み。私たちが取り組んできた社会科学の内容は、構成主義の存在を認めながらも、基本的には実存主義的な仮定に基づいているけれど、その枠組みの外側に何があるかを捉えようとする取り組みだ。

そういうことを勉強していると、私は「リサーチ・メソッドについてちゃんと勉強しよう」という気持ちになって、それが大学院選びの重要なクライテリアに加わった。そんな流動的でいいのかな、と思ったけれど、私が最近学んだことは、「あんまり一貫性がなくても許される」ということである。人に将来やりたいことを話す時とか、前行った時と整合性が無くなったら良くないな、一貫性を大事にしよう、とか思ってたけど、実際他人というのは別にあんまり真面目に私の言ったことを覚えていないし、結局自分(とお金を出している人)が良ければそれでいいじゃんねえ、ということを知った。

大雨の大学の廊下を歩いていたら、階下の図書館にクラスメイトがいるのが見えて、彼女がゆるりと手を振ったから私も手を振り返した。授業に手ぶらで来て、私のパソコンを覗き込みながら論文を読んでいたと思ったら、休み時間に「みて、カバンにビールしか入ってなかった」と見せてきたファンキーなクラスメイトである。ノンアルだった。

そんなことを思い出しながら予習をして、時計を見たら15時半だった。全体のプログラムで大学から30分離れたところに15時集合、海運博物館と展望台に行った後みんなでピザを食べましょうの会があったのだけれど、普通に論文に飲み込まれていた。今から行っても集合時間の1時間後か。仕方がないので諦めて、ボケっとしながら寮まで帰った。私は大学を休まず締め切りを決して破らないが(あとバイトにも遅刻しないが)、それ以外のことはできないのである。ガハハ。笑うな。

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