見出し画像

【スウェーデン日記】#6: Mundane

7月6日:授業2日目。西スウェーデン商工会議所への見学会。

授業とか

授業の3時間前に目覚めるのが私のポリシーなので(さもなくば授業中眠くなるから)、必然的に時間が余る。早めに大学について、セブン・イレブンでコーヒーを買った。アメリカの氷の小売店として始まったセブン・イレブンは、ある時点で子会社側だった日本が本社を買収し、その後北欧の小売店がセブン・イレブンの名前の使用権だけを買って店を展開するようになったのだという。その証拠に、スウェーデンのセブン・イレブンはおしゃれなコーヒースタンドと菓子屋である。日本人とアメリカ人と香港人が口を揃えてこれはセブンイレブンじゃないと言っていた(良い意味で)。

パブリック・ポリシーと政治学はどのような関係にあるのか?というのが私の大学院進学に関しての目下の課題であったところ、教授に聞くことができた。私のコースはパブリック・ポリシーの先生が教えているのである。パブリック・ポリシーは原理的には(大学の学部とかに紐付けない、アカデミックな環境においては)政治学の一つの分野の中にあるけれど、大学の構造によって政治学の中にあったり、マネジメントの分野の中にあったり、パブリック・セクターの中にあったりする。その辺はこう、大学の特性とか得意な分野とかによっても変わってくるのだろうな、と思ってようやく腑に落ちた。

社会科学の中に位置付けられているコースで、二つの軸がある。一つはコンテンツとしての移民政策とその問題だ。今日のスウェーデンの移民政策史を見るだけでも、それが国際的なコンテクストの中に、もしくは国内の政党政治や選挙制度の中で左右されてきたことがわかる。そのような点において、日本が将来に経験しているようなことを(Social issues which Japan will have experienced in future)、欧米の国は今もしくは近い過去に経験していると思う。それは欧米諸国が先進的で素晴らしい!という称賛をしたいわけではなくて、イノベイティブになる代わりに他の失敗例から学ばなくてはなぬ、というそれである。

でもう一つが、メソドロジーに対する検討である。Art Based Research (ABR)を社会科学にどう取り込めるのか?というのが先生の主な興味であるらしく、エッセイを書くよりも、どのように表現するか?をテーマにしている。それについての論考を読んでいると、今までの堅苦しい学問では拾いきれなかったローカルな声とか、周辺化されていた声を拾い上げることに目的があることがわかって、豆電球が一つ灯った気がした。

というのは、私は去年安全保障の概念の授業を取っていて(それは散々書いてきた通りであるが)、そこでEveryday Securityという概念を取り扱ったところに遡る。これは今まで軍隊とか政策とかにばかり目を向けてきた安全保障研究を批判して、研究者は日常レベルでの安全やリスク管理を理解しなければならないというような視点なのだけれど、じゃあ一体どうやるんだよ、ということまではやらなかったのである。Include the mundane, ordinary voice to the scholarly analysis.

それで、ABRがその手法の一つになりうるのか!と思って、そこに分野を超えた社会科学の繋がりをみて、あ〜おもしれ〜と思ったのである。

全体のソーシャル・アクティビティとか

プログラムの一環で、西スウェーデン商工会議所にお話を聞きに行った。歩いている途中で昨日のドイツ人の子と話したり、ぼけ〜っと歩いたりした。たまにもう一人のドイツ人の無口な女の子が私を見るので、目を合わせてにっこりしたりした。

市が持っている土地開発会社から始まって、後半はいろんな会社の宣伝である。私が先日泣く泣く内定をお断り申し上げたPwCグループの(私が内定をいただいたのはPwC Japanであるが)PwC Swedenからも人が来ていて、楽しそうに話をしていた。

小さい頃は、というか就職活動を始める前は(私はいつから就職活動を始める前を小さい頃と定義するようになったのか?)、公共政策とか国連レベルでの政策みたいなものは一体どうやって実行に移されるのだろうか?と思っていたけれど、たとえばPwCのSustainable Development Consultantみたいな仕事を見ていると、こうやって「あるべき姿」と「今あるもの」の間に利益を見つけることができる会社とかが、うまくビジネスにして実行に移っていくんだなあ、とすごく興味深く思う。

講演会があると、今のところ必ず(ケース数は2つ)最初にきちんと会場の非常出口と緊急集合場所を説明するところと、1時間くらい経ったらFikaと呼ばれる休憩タイムが挟まるのが素敵だと思う。この前はプリンセス・ケーキで、今回はシナモンのサクサクとしたロールパン(パイ?)だった。適度に休みをとりながら生きよう。

Fikaの中で南アフリカの青年とちょっと話した。ロンドン日の長さどんくらい?というので、朝4時に明るくなって9時に暗くなるよ、と言ったら、やべ〜と笑っていた。私もやばいなと思って笑った。多分コミュニケーションをうまく取れる人は、「誰々と話した」ということをいちいち覚えていてこういうところに書いたりしないんだろうな、と思う。

帰り道、トラムに乗って帰ろうと思ったら道がわからなくなったので、同じコースにいた気がしたが同じく路上でフラフラしていた少女に、声をかけて一緒に帰った。オーストラリア人だというので、昔オーストラリアにホームステイしてたよ!と言おうと思ったけど、滞在先の街の名前を全く思い出せなくて断念した。ベネズエラしか出てこなかった。私、どこに行ったんだろうなあ。大事な経験の中身だけ残って、それを表現する語彙を失った。

難しい人生とか

サマースクールの中で、隊列を組んで移動することが多々ある。そんな中で、列の中で歩いたり座ったりしているときに、必ずしも誰かと話していたり、小さなサブグループの中にいたりしなくても良いということに気がついた。

最後に集団行動らしい集団行動に加わったのは、つまり卒業式みたいな決まったものではなく、ある程度の柔軟性を持った集団みたいなものに加わったのは、ずっと前のことだと思う。それは当然の帰結で、私がそういう機会を意図的に避けてきたのである。大勢の中で、何をしていいのかも、コミュニケーションの取り方もわからなくて怖いから。今だって怖いし、未だに避けている。だけど、サマースクールの中でソーシャル・アクティビティに(面倒臭い気持ちを押し殺して)きちんと参加して、今更になって、集団の中にいることと一人ぼっちでいることが並列しうるということを理解したということは、大人数の人との社交活動をすっかり苦手とするようになってしまった22歳の私への救済であるような気がした。

私が大勢の人の中での立ち位置を探ることを苦手とするのには、別に最近始まったことではない。その一つに高3の春のディズニーランドへの遠足があった。学年の中でクラス関係なく混ぜて、好きな人と5人くらいのグループを作ってくださいね、という制度だったのだけれど、私は正直なところ一緒に行けそうな人が全く思いつかなくて、ついでに遠足の日が受験に必要だったIELTS受験の前日だったこともあって、えーいどうすればわからん!と思って、学年主任に「すみませんが休みます!」と宣言して休んだ。普通に友達に声かけられなかったのは親も教員もわかってたと思うけど、学年主任も親も残念そうな顔をしただけだったと思う。

それができないながら、教室に居場所を見つけるのは別に困らなかったし、体育祭とかも正直なところ何をすればいいのかよくわからなかったのだけれどどうにか乗り切ったし(というか生徒会に行けば良かったのである)、今となってはそういうこともあるよなあ、と思う。遠足に一緒に行けるほどではないけど、卒業しても2年に1回くらいご飯を食べに行く知り合いは何人かいるような気がする。そういう距離感の人間関係の構築の仕方というのは、あの濃厚な高校生活にはない選択肢だったという、ただそれだけである。私は高校の勉強部分と生徒会が大好きだったし、ゼミみたいなのを持ってくれた世界史の先生が大好きだった(今も大好きだけど)。

高校の遠足はすごく難しかったけれど、あんな難しいアクティビティに放り込まれることはもう金輪際ないだろう。とにかく今更になって、遠足で誰とグループを組めば良いのかわからなかった気持ちと、集団行動で他の人と一緒に行動することに感じていた苦手意識に、スウェーデンでようやくとっかかりが見つかったような気がした。

寝る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?