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23歳誕生日に添えて

4月が来て、春のかおりがするようになって、また一年が経ったことを実感する。目を閉じて開けば23歳になってしまった。嘘だ。1年間もがいていたら23歳になっていた。

よし、これで正しい表記になった。


少しは大人びて、飄々と生活できた一年だったろうかと思う。感情的になることなく、学業と労働に真摯に取り組み、時間を過ごすことができただろうか。鬱屈としたものは全てここに吐き出して、背筋をのばして微笑んでいる姿を表出できていればいいと思う。鬱屈としたものを吐き出す先が実名とリンクしていていいのか?(いいはずがない) 私は少しは強くなれただろうか。

自分の興味にようやく取り組んだ一年でもあったのかもしれない。卒論を書き、志望分野で大学院の志望動機書を書き、プロポーザルを書き、私はアカデミアという世界でいつか研究を一つ成し遂げたいと思った。だけど、大学院のオファーを持っても、卒業してすぐにアカデミアに飛び込むには勇気も野心もお金もないと思った。だけどいつか、私はこう言う人間ですという説明を、私の内部に見出したいと思った。それは、大学に進学すると言う夢を達成してしまったあと失われていた夢が、新しいもので上書きされたのかもしれなかった。

今年は自分の手にいくつか仕事がついた年でもあった。どれも小さな依頼であったが、とても重要な依頼だったと思う。私はそのことを、とても誇らしく思う。

5年働いたらもうアラサーである。22歳の同期たちとたまに会うと、俺たちこれからどうするんだろうな、という話ばかりしている。俺たちいつの間にかなっちまったよな。実際卒業が半年遅いだけで、ストレートに行った高校の同級生たちはもう4月から新社会人である。もう23歳。22歳まではなんだか可愛らしい響きがあったのに、23歳になると突然現実味が増すのはどうしてだろうか。

冠婚葬祭が他人事ではなくなってきた。結婚する同世代が複数出始め、生身剥き出しで社会に放り込まれた気持ちである。同時に、あまりにも他人事すぎて焦りみたいなものすらも感じなくておしまいだと思う。なんか、メキシコで卵の価格が上がったニュースをテレビでみている感じ。めでたいことがあった全ての人々、おめでとうございます。


教育学部にはピアノがあって、いつも誰かが弾いている。その音色を聞くたびに、日本に帰ったら小さいワンルームを借りて部屋に電子ピアノを置くのだ、と思う。絶対に。

就職活動をしていると、私は何かに熱意を持つことを、そして表現することを恐れるようになってしまったのではないかと怖くなる時がある。何者にもなれない、うまくいかない強くいられないと言い訳をつけて、何かに熱心になる気持ちを表現することを忘れているのではないかと思う。私はそうなりたいわけではないのだ。うまくいかないことを踏み台にうまくいく人間になりたいのだと思い直して、少なくとも面接や面談をしているときは一番素直で青い部分を失わないように守っている。それがどんなに平凡であるとわかっていても、さらに言えば志望動機を練っている時も人生を振り返る時も結局輝く粒にはなれなかったと思うと同時に、ある程度の平凡さは許容されて欲しいと祈っている。

面接で何を見られているんだろうかと思う。私はこういう人に見られたいと思うブランディングは提げて参加しているし、このエピソードはこの話に繋げたいというネタも大量に仕込んでいるわけだが、そんなのは全て無駄で結局向こうが何かを見つけてくれるのを待っているようにも思う。器用ですねIQが高いですね賢いですねと言われるたびに、そう思う理由を300字以内で述べよ、なぜなら私がそれを知りたいからと肩を掴んで揺さぶりたい衝動に駆られている。


昨年の誕生日に立てた問いは、「現在を切り刻んで将来のために努力することにはどのような意味があるのか?」であった。明確な答えが出たとは思わない。しかし、逆だったのかもしれないと思った。現在生を実感するために何かして、それが結果的に将来に帰結するのかもしれない。将来の目標のために生きるのではなくて、今あるものを、やる気とかやらない気とか不安とか全てを、一つずつ対応して行くことで、自然と将来が生まれるのかもしれない。これはSolutionist approachがメインだった国際開発から、ローカルコミュニティーのレジリエンスを伸ばす方向にシフトしつつある話とかを見て、人生だってそうだよなと思ったのもあったと思う。人生で絶対に意味がないだろうと思っていたTwitterを眺めている時間が、翻訳の仕事とかに役立ったりして、本当にそうなのかもしれないと思う。

だから、今年の目標は、「毎日を真摯に生きる」ことにしようと思う。私は確実に将来にむかって努力している時の方が熱量が高くて、そうやってたどり着いた毎日とか現実とかをおそろかにしがちだと思うことがある。だから、未来のことを考えるのもいいけれど、今目の前にあるものとか時間とか興味とか人とかに、正面から丁寧に向き合う一年にしたい。


今年一年、美しいものだけが私の目の前にありますように。


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