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【雑記】2024年2月中旬

ロンドンを訪ねて母が来たので、母と観光をした。私は母を人間として好きだから、母が来たのが嬉しかった。母を送ったホテルの帰り道、いつも通り歩いていて気がついた。

なんだか石畳を久しぶりに見た。

一人で歩いている時、私は地面ばかりを見ていたのだと思った。だから、歩くためにしているイヤフォンを外して、少しだけ前を向いた。歩幅に合わせて流れる石畳を見つめながら、その日の晩御飯を考えその週のリーディングを思い浮かべ明日の予定を考える、そんな日々だった。

母が帰った後、大量に訪れた美術館で買った葉書を缶に詰め直した。画家によって並べ直して、モネの絵だけ(量が多いので)麻紐で束ね直す。たくさん買ったカード類も、一度文房具の引き出しを空にして詰め直した。私の引き出しの中には、これだけ美しいものが詰まっていたのだと思った。

ひとりでいると、ついそんなことを忘れてしまうのだと思った。


その日は、訃報と吉報がほぼ同時に来た日だった。直接の知り合いから吉報が届き、直接の知り合いが訃報を受け取ってしばらく連絡が遅くなる旨を告げられた。前者にはお祝いのメッセージをうち、後者にはご愁傷様ですとうつ。今まで冠婚葬祭というのは、親を通してやってくるものであった。それが、私が自分で文章を組み立てて、こちらのことはご心配なくなどと言っているわけで、私はそこに、剥き出しにされて社会に晒されている自分を見た。

その日、私はロンドンから日本へ帰る片道切符を買って、数日後に引っ越しの手配をした。何もなかったかのように引っ越しの申込書に自分の名前を書いて、ああもう、私は大人になってしまうのだと、モラトリアムをモラトリアムらしく過ごした私がどこかで泣いていたような気がした。


Democracyの概念について聞かれたので、30億年くらいまえにそんなことをやったなあと思い(去年比較政治学の授業でやった)、しかし教科書は処分したか日本においてきたかしてしまったので、ほうそういえば日本語の教科書があったなあと思ってベッドの下から掘り出した(私の素晴らしい部屋には本棚がないので、本がベッドの下に詰められている)。 私の手元にある教科書は政治過程論、これは去年の比較政治学の授業でやったことと概ね被っている、と政治学、これは政治哲学の授業でやったことと被っている、がある。どちらを読んでも、私が思い出したかったセオリーの概要みたいなのよりも、物語を語るように説明がされていたので、ちょっとわかりにくいなと思った。わかりにくいというか、全然違う考え方をしているようで、同じものを別の側面で見ているようで、うまく繋ぐのは結構難しいなと思った。


大学に通っているので、別に毎日小難しい論文をこねくり回して机の前でのたうち回っているだけではなくて、ちゃんと授業にも出ている。

セミナーにおいて、私は未だに、すごく日本人的だと思う。日本人的だと思うというのは、定義とか説明みたいなものは頭に入っていて、自由意見はそんなにいっぱい話すわけではないという点においてだ。どう思う?みたいなのはよっぽど理論が綺麗にまとまっていなかったら、一回立ち止まって考えてしまう。逆に、とりあえずしゃべるみたいな人の話を聞いて、これは趣旨に沿っていないな〜みたいなことを考えていたりもする(私は無口で考えている方が好きな、昭和親父みたいな女なのだ)、逆に定義は頭に入れているので、Powerの定義は?(one’s ability to have someone else to make an action whcih otherwise he would not have done - Euston)とか、Sovereigntyの定義は?(control over territory, often domination of violence - Weaber)とか、ヨーロッパ統合を構成主義的に説明するとどうなるか?(Return to West - multiple)みたいなのはパッと誦じられて、その度に先生がパチンと指を鳴らす。そう思うと、そういうのが(理論上)頭に入っている日本の大学生なんていうのはよっぽど賢いのではないかと思う。知らんけど。

授業の履修にはやっぱり傾向があるので、三年も大学に通っていると授業が被る人がいる。名前も一応覚えている。ああ今日もおんなじ人たちだ~と思ってセミナーでくっちゃべって教室を出たら、被っていたうちの2人が残りの一人の爆悪口を言っていた。恐ろしかったのでさっさと帰った。授業態度についてだったのでまあ言いたくなる気持ちもわかるが、もうちょっと離れたとこでやれと思った。イギリスの教科書の1ページ目にはempathyって書いてあるんじゃなかったのかよ。

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